うで訣らないのですから、無理に訣らうとしない方がいゝかも知れません。無理に訣らせようとすると言ふと、訣つた語源に引きずられる。が兎も角、諺と言ふ言葉が書いてあるものは、大抵、地方的な意味を持つてゐるのです。この場合、地方的と言ふのは全国的でないと言ふ事です。田舎のもあれば都会のもある。総べてが共通に、一つの諺を持つてゐると言ふことは、考へられないが、それがだん/\一般的になつて来る。今残つてをります古い風土記、奈良朝の時に出来たと称する、風土記を見ますと――「常陸風土記」が一番適切に出てをります――「風俗諺」或は「風俗歌」と言ふのがあります。くにぶり[#「くにぶり」に傍線]の諺くにぶり[#「くにぶり」に傍線]の歌と読むのですが、歌と諺とにちやんと区別をつけてゐるのは、形式に違ひがあるからです。或は形式に違ひがあり、形式に区別があると言ふ以外に、理由が、それ以前にまう一つあるのでせう。この中、歌の方は、国文学の領分に早くから這入つてをりますから、なるべく避けて、諺の方を申して行きます。つまり、「風俗諺」として書いてあるが、それが諺を適切に表してゐる。諺と言ふものは、もと/\地方的なもので、国々、その地方々々の人達の間に、行はれてゐるものと言ふことなのです。だから、宮廷には宮廷の諺があり、貴族でもその家の諺と言ふものがあつたらしく思はれます。古事記や日本紀を見ましても、宮廷の諺が伝つてをります。
わりに、日本の国文学史を専攻する人は歌が好きです。どんな歌の断片でも、まるで、だいやもんど[#「だいやもんど」に傍線]の一粒でも拾ひ集めて来る様に考へて、一所懸命で採集してをりますが、諺はわりに顧みない様です。
つまり、地方で、何か知らぬけれども、残つてゐる言葉があります。その言葉は、失ふことの出来ないと言ふものがあるんですね。まあ普通我々が、その中から抜き出して考へることの出来る意味はこれだけです。つまり、その諺をば覚えてゐると言ふ人、覚えることの出来る人と言ふのは、実は限られた人だけなのです。そしてその諺を覚えてゐると言ふと、その諺の持つてゐる威力が、その人の体に宿るのです。同時に、その言葉の威力、言霊ですね。――言霊なんて言ひますと、神道家みたいになりまして、話が新鮮味を欠きますから、避けてゐるのですけれども、まあ気取つてみたところで同じことですが――その言葉の威力と言ふ
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