ものは、結局、その土地を自由にすることが出来る威力と同じことです。言霊と言ふものは、国魂と言ふものと同一視してゐますが、もとは違ふでせう。宮中で行はれた事を見ても、国の魂と言ふものがよく訣るのです。天子様の御身体には、大和の国を御自由になさる魂が、這入つてゐるのですが、国々の古い領主にも、さう言ふ国魂と言ふものが這入つてゐるのです。その国魂と言ふものと、言霊と言ふものとを一つにしてゐるが、本当の事は説明がよくつくのです。
その国魂と言ふものは、たゞでは体に這入らない。沖縄あたりに行つてみますと、魂を落しますと、「まぶい籠《ク》み」と言つて、まぶい[#「まぶい」に傍線]を体に籠めると言ふので、色々な石を拾つて来て、ゆた[#「ゆた」に傍線]と言ふ者に石を与へることに依つて、まぶい[#「まぶい」に傍線]が這入ると言うてをります。併し、日本の本島のは、言葉を通して魂が這入つて来る、即ち、言語は仲介者であると考へてゐたのでして、後には、言語そのものも魂を保有してゐると考へる様になつて来たのです。これを強く感じると言霊信仰ですが、兎も角、魂の這入つた言葉と言ふものがあるのです。それを体のなかに入れておくと、その人はその土地に対する力を生じるのです。入れておくと言ふことを昔の人は実際に出来る事だ、つまり、さうして体の中に這入ると思つてゐたのです。心と言ふ言葉は、水心と言へば水の一番深みの処の事で、水心とか地心とか火心とか言ひます。昔の人は、人の体にも深い処があつて、其処に魂が這入る、そして其処に旨く落着くと出て行かない、かう言ふ風な処があると考へてゐたのです。そしてそれが心だと思つてゐたのです。つまり、魂の入れ物が心なのです。心と言ふものは、必ずかう言ふ風な穴みたいなものゝ積りで使つてゐる。具体的に見ると、さう言ふ風に考へられますけれども、本当はそんな訣ではないのですから、まあ覚えてゐることなので、覚えてゐると魂が這入つてゐる訣なんですね。で、その国にある諺と言ふものは、出来るだけその土地の威力を持つてゐる人、つまり、権力者が覚えてをつたものです。
それと同時に、歌がやはりさうなのです。後には歌が非常に勢力をもつて来た為に諺が減退してしまつたのですけれども、歌と言ふものは、起りは違ふが、兎も角、二つ並んで来たのです。形式も違つてゐて、さう規則正しくは行きませんけれども、大体私共の
前へ
次へ
全45ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング