いから」に傍線]と言ふ言葉は、使はなくなつたかも知れませんが、又私共もさう使つてはゐませんが、すまあと[#「すまあと」に傍線]とかもだあん[#「もだあん」に傍線]とか言ふ言葉は、我々の生活内容には余り這入つて来ない。それだけ貧弱な生活をしてゐるんだけれども、又それだけ安易な生活もしてゐる訣ですね。それで、はいから[#「はいから」に傍線]と言ふ言葉は御存じの通り、只今でも生きてをられる竹越三叉さんや、先年亡くなられた望月小太郎さん、あの人々が洋行帰りで、高いからあ[#「からあ」に傍線]をつけて、きいろい声で演説をしたのを新聞記者が悪《にく》んだ。きざな奴だと、日本新聞ではいから[#「はいから」に傍線]と言ふ言葉を言ひ出して――日本新聞で言ひ出したのでなく、宛て字を日本新聞でしだしたのかも知れません――兎に角新聞記者が、からあ[#「からあ」に傍線]の高い奴と言ふのではいから[#「はいから」に傍線]と言ふ名前をつけた。そして、鼻持ちのならないと言ふ意味の言葉として、日本新聞で「灰の殻」と宛て字をした。侮蔑しきつた宛て字ですね。今は一つも使ひませんが、その頃使はれてゐたはいから[#「はいから」に傍線]と言ふ言葉は、襟が高いと言ふ意味のはい・からあ[#「はい・からあ」に傍線]を、「灰殻」と宛て字を書いてもいゝやうな、さう言ふ内容をもつて来てをつたのでせう。それで「灰の殻」として、しきりに使はれてをりましたが、その灰殻と言ふ記号をば飛越えて飛躍し、はいから[#「はいから」に傍線]と言ふ言葉が、非常に使はれ行はれて来ました。さうしてそのはいから[#「はいから」に傍線]と言ふ言葉も、だん/\良い内容を持つて来て、つまり、鼻持ちのならぬきざな奴、むしづの走る奴などゝ言ふ意味が、遂にはだん/\なくなつて来たのでせう。そして、我々が昔からもつてゐた考へ方を、又復活させて来たのです。
戦国の終りから江戸の始めにかけて申したあのかぶき[#「かぶき」に傍線]と言ふ言葉、それから六法《ロツパウ》、かんかつ[#「かんかつ」に傍線]などゝ、色々な言葉がありますね。その時代々々に依つて、少しづゝ意味は変つて来るけれども、兎に角、近代的で、乱暴で、而もえろちっく[#「えろちっく」に傍線]で、刺戟の強いものを表す言葉になつたのでせう。併し、時々さう言ふ考へだけが、型を落してしまつて浮動してゐる事があるんで
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