る寿詞を奏した面影は、あの新羅王の誓詞をもつても明らかである。勿論、あれは、日本語風に表現せられた寿詞を、更に、記録者が異訳した跡が見えるのである。
さて最後に、さうした祝詞は、何時・何処で宣下されたものか。私は、其宣下の座を、古くのりと[#「のりと」に傍線]と称したものと観てゐる――そこで宣り給ふ詞章なるが故に、のりとごと[#「のりとごと」に傍線]、と言うたのである――其を略して、単にのりと[#「のりと」に傍線]と云ひふるして来た為に、のりとごと[#「のりとごと」に傍線]を以て、重言のやうに考へ、或は、のりと[#「のりと」に傍線]を分解して、のりときごと[#「のりときごと」に傍線]・のりたべごと[#「のりたべごと」に傍線]或はのりごと[#「のりごと」に傍線]と言うた風に、と[#「と」に傍線]にこと[#「こと」に傍線]の意味を想定する学者ばかりが出来たのである。
高御座を以て、私は、のりと[#「のりと」に傍線]、即、誕生――復活の詔旨を宣下し給ふ座と考へる処まで来た。
私の此話は、日本の古代の暦法、天上天下の関係を説かねばならなくなつた。此は他日の機会を俟ちたい。たゞ、最後に、言ひ添へるならば、高御座は、天上に於ける天神の座と等しいもので、そこに神自体《カムナガラ》と信ぜられた大倭根子天皇の起つて、天神の詔旨をみこともたせ給ふ時、天上・天下の区別が取り除かれて、真の天《アメ》の高座《タカクラ》となるものと信ぜられてゐたのである。
底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
1995(平成7)年3月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 民俗学篇第一」大岡山書店
1929(昭和4)年4月10日発行
初出:「国学院雑誌 第三十四巻第三号」
1928(昭和3)年3月
※底本の題名の下に書かれている「昭和三年三月「国学院雑誌」第三十四巻第三号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:小林繁雄
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
2004年1月25日修正
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