傍線]は、臣従を誓ふ者が、其氏族の守護霊を捧げて、長者の齢を祝福する意味の詞であつた。だから、寿詞《ヨゴト》は、実は齢詞《ヨゴト》である。宣があれば奏が伴ふ。のりと[#「のりと」に傍線]に対して、寿詞がたてまつられるのである。だが、早くから、まづ寿詞を奏して後、のりと[#「のりと」に傍線]が宣せられる風も行はれてゐたらしい。けれども、さうなつてもやはり、普通のよごと[#「よごと」に傍線]は、のりと[#「のりと」に傍線]の後に、数多く、まをされたものである。上代に於てすら、元朝ののりと[#「のりと」に傍線]を忘れて、よごと[#「よごと」に傍線]を主に見る傾きがあつた。
祝詞・宣命・詔旨は、結局寿詞・返申《カヘリマヲシ》を予期して発言せらるゝものであつた。其に対する返申《カヘリマヲシ》は、必守護霊献上と、健康祝福をかねた服従の誓詞であつた。此意味に於て、蕃国の使に宣せられる詔書が、分化したものである。公式令に於ては、日本天皇、或は、天皇と書いてゐるが、此は、恐らく朝廷大辞と同じく、古くは「あきつみかみと、あめのしたしろしめす大倭根子天皇」と云ふ資格の宣言を、開口としたのであらう。其が、内国には大八洲といひ、外蕃には日本天皇としるすやうになつたのには理由があらう。大八洲の詞が、内国的であるやうに、日本《ヤマト》の詞は、対外的に感ぜられ出したからである。
日本の地域は、大倭根子天皇ののりと[#「のりと」に傍線]の下る範囲内を示す詞であつた。正しく云へば、此祝詞がくだると、其土地が、日本を以て呼ばれるやうになるのである。だから、国家が拡がるにつれて、大倭根子天皇詔旨は、次第に重要な意味のものと考へられて、此は対外的のものであり、或はひろがりゆくべき祝福の詞章と解せられる習慣が出来たのである。私は日本《ヤマト》が、一部落の名から起つて、一国の名となり、更に、宮廷の時代々々に於ける、版図の総名にまで、延長せられて行つた理由を明らかにした。此は即位・大嘗・元旦に通ずる詔旨の威力の信仰に基くのであつた。
朝鮮半島に於ける国を内屯倉《ウチツミヤケ》と称したのも、実は、蕃国使に宣せられる詔旨に、其大国を、日本の内なる屯倉《ミヤケ》同格に、取扱ふといふ意味の発想法が、淆《まじ》つてゐたからの事と信じてゐる。たとへば、かうしたのりと[#「のりと」に傍線]が下るごとに、蕃国の使は、伝承の旧辞な
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