植ゑの後、夜、さなぶり[#「さなぶり」に傍線]を行ふのが普通である。早苗饗応だと言ふ説の当否はとにかく、田植ゑに臨んだ神々を、賓客として開いた饗宴の遺風なのは、事実である。植ゑ初めから、植ゑ了ふまでの間は、群神は村に居て、夜行する故、此間は居籠りを守つてゐる。夜の、外出はきびしく忌んだのである。神逗留の間はまつり[#「まつり」に傍線]と言ふには当らない。神が能動的にふるまひ、人は水口祭り以外には、神に向つてする事がないからである。
さなぶり[#「さなぶり」に傍線]の饗宴は、果して古くからあつたものであらうか。神の行ふべき行事は、悉く田遊びで尽きてゐるのだから、此さなぶり[#「さなぶり」に傍線]は、田植ゑに必須条件ではなかつたらしい。唯この夜、家々の男は悉く外に出て、処女或は巫女の資格ある女が、協同作業《ユヒ》の斎屋《イミヤ》――或は個々の家――に待ち申して、此|客人《マレビト》をもてなす事が行はれたらしい。此が、陰陽道の五月の端午の節供に習合せられたのであつた。世間で男の節供と言ひながら、此夜に限つて、家々を女の家と言ひ習して来た――女殺油地獄の中――のは、男の物忌みで家に居ぬ日だつた
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