ヨ》の遊行に出させたらしいのである。
女の授戒も、四月上旬から中旬に亘つて――平安朝からも見えた――村々でせられた。山ごもりに、成女戒を受け、同時に早処女《サヲトメ》に出る資格を得た。
男のも、恐らく此前後に行はれ、授戒の済んだ者は、やはり山ごもりを長く続けさせられたものと思ふ。此が、貌《かほ》つきを替へて、大峰山上でする御嶽精進にもなつた。此は、平安中期にも既に見えた事だ。とりわけ、新達《シンダチ》など俗に謂ふ初登山の若者は、先達から苦しめられた。
石を堆《つ》んで人を埋めた石こつみ[#「石こつみ」に傍線]の話、謡曲に残る谷行の作法などは、成年戒の苦しみの物語化したものである。天狗が胯《また》を裂くといふ信仰も、此に関係がある様だ。さうして、山を出ると、精進落しと言ふが、大峰入りの数を重ねた年長者が、新達《シンダチ》を大和・紀州の平原の田舎色町に連れ出して、女に会う道を知らせる。こんなしきたり[#「しきたり」に傍線]は、伊勢参宮の形で行ふ地方もある。国々には、此意味の初参詣が、霊山・聖地に行はれて居もし、居た事は、近頃も多い。
端午が、漢人伝来の節の斎みであるのに、恰《あたか》も当る五月の早苗時の信仰を持つて行つたのであつた。
ながめいみ[#「ながめいみ」に傍線]は、皐月の神となる物忌みだと言うた。而も、成年戒に関係深い事を述べておいた。
万葉では、意義合理化せられてゐるが、女にあはぬ長い間の禁欲生活といふ義を含んでゐた証拠を一つあげる。
       世に経るながめ[#「ながめ」に傍線]
古事記にある「長目を経しめたまふ」と言ふ語が、其である。主上の、快からぬ貢女に施された冷遇法であつた。
媾を断つて久しい事が、ながめ[#「ながめ」に傍線]を言ふと説くか、欲情生活の空虚から来る、つれ/″\な憂鬱《ナガメ》を思ひ知らしめた事で、ながめ[#「ながめ」に傍線]は、
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花の色は 移りにけりな。いたづらに 我が身世に経る ながめ[#「ながめ」に傍線]せしまに(古今巻二)
起きもせず 寝もせで 夜を明しては、春の物とて ながめ[#「ながめ」に傍線]暮しつ(古今巻十三)
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などのながめ[#「ながめ」に傍線]だと言ふかすれば、今の処正しい説と見られるだらう。平安朝のながめ[#「ながめ」に傍線]は、禁欲或は、人に会ふを得ぬ不満から起る
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