意味を持つた語を中に入れなければ完全にはならないのだ。一旦入れたものを、使ひ慣れて来るうちには又、省いて、其語だけで、代表させるやうになるから、自然に独立して来る。「ぞつとする程……である」と言ふ意味の言葉が変化して、ゆゝし[#「ゆゝし」に傍線]とだけ言へば「ぞつとする程に……」といふ意味になつてくる。其が更に、「ぞつとする程にいけない[#「いけない」に傍点]」意味をも分派してゆくのである。
この経路と事情とは、あはれ[#「あはれ」に傍線]の語に就いても言へると思ふ。あはれ[#「あはれ」に傍線]などは、伝説の上では高天原以来の語であると信じて居るが、恐らくさうでもあるまい。一体、日本の言語だけから考へても、日本の民族の歴史は、短くはないと思はれる。この言語の長さが、果してこの国土に移り住んでからのものであるか、或はその以前の国土に居つた時からの続きであるかは訣らぬが、ともかくも、言語だけを見ても、紀元年数などよりは遥に古いといふ感じがする。其はともかくとして、あはれ[#「あはれ」に傍線]は果して始めから色々な内容を持つてゐたかどうか。恐らく当初は、感動の語として単純なものであつたのを、
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