だけれども、だん/\進行して行つた点は卒業して了つて居る。たゞひどい、といふ事だ。之で考へると、大抵のうたゝ[#「うたゝ」に傍線]はひどいといふことらしいのである。素戔嗚尊の所でも、嫌なこと、いけない事があつたといふ意味で、さう訓んだのであらうと思ふが、それなら、うたゝあり[#「うたゝあり」に傍線]と訓んだ方が真実に近い。どん/\悪いことをして、どうにもかうにも手におへなくなつて了つた、といふ進行の意味を持つてゐると解して、うたゝあり[#「うたゝあり」に傍線]と訓む方が適切だと思ふ。大長谷王の方の例では、嫌なことを言ふ人だから、といふのは、災ひになる事を言ふ人だといふ意味だが、さう解していゝかどうかは問題である。我々は解釈する以上は、万葉集は万葉集風に、古事記は其を書いた人の思つたであらう風に解きたいものだ。でこゝも、どうもひどい事をいふ人で、といふ位に簡単に解して置いていゝかと思ふ。

       八

今一つ考へておかねばならぬことは、日本文の表現法では、昔から副詞の下に言葉を省くのである。万葉集の様な律文になると、之が一層はつきりするが、「うたて……ある」といふところを省いて居
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