る。譬へば、今の例でも、「うたてかたましく物言ふ王なれば」即ち、非常にぐろてすく[#「ぐろてすく」に傍点]な恐ろしい事を言はれる王だから、と言ふ様なことを言つたものに違ひないと思ふ。万葉集に、かうした手法の類例があるのだから、古事記にも無い訣はない。三日月の歌にしても、先に解いた様に、あゝ嫌だ、うとましいといふことではないのかも知れぬ。「何時はなも」の歌になると、少くとも、「恋のしげしも」をうたて[#「うたて」に傍線]が形容して居る。此「うたて此の頃恋のしげしも」を略して言ふと「うたて此の頃」になつて了ふ。類型で始中終、繰返してゐるうちには、又あれかと思ふから、全部言ひ切つて了ふ必要がなくなつてくる。「うたて此の頃」と言へば、「うたて此の頃恋のしげしも」を略した形だと誰の目にも訣る。かう考へて来ると、前の解釈はあれは平安朝流の解釈だといふことが考へられるであらう。かうして重ねて使つてゐる間に、自らうたて[#「うたて」に傍線]の用語例が定つて来る。つまり何時でも類型表現をするから、副詞価値が自然に定まるのだ。同時に、「恋のしげしも」と言はなくても、其が「うたて此の頃」と言つた言葉の中に含
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