言つてゐることは、神が言つてゐるのだぞ」と仰言られる訣だ。之が大抵の場合は惟神だけで、すぐ其後につくべき動詞を省いて居る。万葉集などでも、矢張、既に末の用法で、非常に自由に使つて居る。さうして組織の違ふかむから[#「かむから」に傍線]などいふ語に近づいて行つてさへ居るのである。本来は、「惟神……する」と言はねばならぬのを、始中終使つてゐるうちには深い内容を自ら蔵して来る故に、惟神とだけ言へば、その持つてゐる内容は訣つて了ふ。「惟神の道」といふ語には、だから、非常な飛躍がある訣で、たゞ惟神といふ単語を、いくら解剖してみた所で、ある点までしか訣らない。もう一つ例を挙げると、をす国[#「をす国」に傍線]といふ使ひ方がある。をす[#「をす」に傍線]は食ふの敬語で、非常に広い用語例を持つて来て居るが、之は単なる敬語では決してない。天子が天上から此国へ下つておいでになつた真の意義はどこにあるかといふと、天の神のおあがりになる米をお作りになるのが御使命であらせられた。此事を人間的に解釈すれば、天の下を自分のお国になされる為にお出でになつたとなるが、要するに神の御田をお作りになるのである。つまり、天[
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