偏頗といふか、単純といふか、とにかく語の数が非常に少ない。一寸変つた語が出ると、此方がびつくりする程に使はれる。祝詞などを見ても訣る様に、同じ語ばかりが出て来る。万葉でも、白い浪ではなくても白浪と言ふのは、文学語として此語を取り上げてゐた訣で、馬といふ為に赤駒といふ表現をして居り、これは次第に趣味が変つて、青馬などとも言つて来る様になつてゐる。髪の毛ならば、必ず、黒髪といふ。之等は昔の人の好み、単にさうした語が好きだつたといふだけで、意味はないのである。枕詞も最初の話の様に、あんな必要が出て、色んな意味がくつついては来たが、結局は歌の一部分になつて了つて居る。文学語――知識としての要素の強い――として枕詞を取り込んで来たのだ。
此文学語として枕詞の、発達の最初にゆきついたのは何か。其は地名である。地名を文学化し、文学風に考へるといふ歓び方が出て来る。つまり枕詞は、最初は土地か、神か、人間かの讃詞であつたのが、次第に意義が変化して来た。さうなつても、何時までも土地・神などに纏綿する考へは失はず、どうかすると、其が復活する。だから枕詞と土地の神とは引き離すことが出来ない。さうして最後には歌
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