らない」に傍線]の中止形、其にす[#「す」に傍線]をつけた。知らないでゐる、訣らなくしてゐる、と言ふのだ。此例も決して多くはない。併し我々は、ごく僅かでも、祖先の用例を探し出して来て、だん/\仮説を立てゝゆく様にせねばならぬ。非常に流行して使はれた語でも、すぎ去つて了ふと、ぽつつり一つだけ残つて居る。言語現象は、常に流行である。我々は流行を呪ふ立場にあるけれども、言語の流行は、我々が長くかゝつてやる仕事を、短い間にやつてのけて生活に取込むといふのだから、普通の文化生活とは這入つて来方が違ふ。だから危険だけれども、無暗に動いてくる。その熱情が我々を脅すのだ。併し、ともかくも、さうして流行してゐるうちには、やがては円満な語になり、普遍性を持つて来る。さうなると、もう其を使はずには物が言へぬ様になつて了ふ。で、此「生ひば生ふるかに」の例を見ると、文法意識が変つて来て、既に、「生えるなら生えるにまかせておけ」、といふ意味に理会して居る。此変化の現象は、之からの文章を解釈して行かうといふ人の是非とも心得なければならぬ要点で、常に、昔の意味と、今の意味とを考へてみることを忘れてはならぬ。さうでなか
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