と」に傍点]ではないのだが、かうした形が進んで来て、自動詞にも、どうしても目的なり対象なりがなければならぬ。つまり有対自動詞といふやうな形が出来て来るのだ。尤、古い人には別の論を立てる人があつて、を[#「を」に傍線]・に[#「に」に傍線]等の助詞は非常にゆるく使はれて居るとも言ふから、或は又他の意味があつたのかも知れぬが、とにかく、自動詞が対象を要求した。其が何時頃かといふことだけは、一寸説明が出来ぬ。何故なら、書物にある一面には、文学が古語を生かしてゆき、そのもう一つ前には、古語を死なしては罪悪だとも思つてゐたのだから、口言葉の上では其がどの位生きて来たかは訣らない。文献の上に生きてゐるといふことが、口の上でも同じ様に生きて来たといふ証拠には、一つもならぬのである。ともかくも自動詞が目的語乃至補足語を取らねばならぬ様になつた結果、寝るをいぬる[#「いぬる」に傍線]、泣くをねなく[#「ねなく」に傍線]と言ふ様になつた。更には、その間に助詞を挿入して、いをぬる[#「いをぬる」に傍線]・ねをなく[#「ねをなく」に傍線]と言ふ言ひ方が出て来たのである。かう考へてくると、今日では、殆ど訣らぬも
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