面の似てゐる、似てゐないといふことを超えて、その底にある。我々の祖先は、南からも来てゐる事は事実だけれども、其は表面を一寸見たゞけで、容易に洞察し得るといふ訣にはゆかない。だから、比較する前に、日本語の形といふものを考へねばならぬ。さうして、その形を、朧げにでも、作つてみる必要があるのである。
譬へば、はしご[#「はしご」に傍線]のことを、昔は、はし立て[#「はし立て」に傍線]と言つて居り、天の橋立[#「天の橋立」に傍点]などの如くに固定して遺つた。此はし立て[#「はし立て」に傍線]は、竪のはしご[#「はしご」に傍線]といふことで、普通の日本語ならばたてはし[#「たてはし」に傍線]といふのが本道であるから、此語は、後世の日本語の構成とは違つてゐる事が訣る。かうした言語現象に就いては、夙く坪井九馬三博士が注意された事があつたが、靴下のことをしたぐつ[#「したぐつ」に傍点](韈→したうづ)、車の前に出てゐる布《キレ》の、簾下《スダレシタ》といふべきを下簾《シタスダレ》と言ひ、岡の傍で岡片《ヲカガタ》とも言ふべき所を片岡と言ふ。(この片岡[#「片岡」に傍点]は非常に拡がつて、地名にまでなつて
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