、その様に諺であつた枕詞が、殆ど無意味な形式的なものとなり、もと讃詞であつたことも忘れて了ふ。理由は知らないが、重要性を持つてゐる霊的な不思議な詞章だ、と考へて来る。さうして、どうせ我々の祖先から伝へて来た財産ならば、其を生かして使はなければならぬ、といふ気持から、既に死んで了つた詞句を生かして来ようとする。つまり、意味がないと思つてゐた言葉に、だん/\意味をひつぱり出して来る訣だ。譬へば、祝詞の解釈に当つて、その讃詞が訣らないので、狭い範囲の比較研究をして、宣命ではかう、古事記ではかう、といふ風に見て来る。かういふ態度は、学問的だとは言へるが、併し其原初の意味をつきとめるといふ事は容易な業ではない。
四
一体、言語の学問は、比較言語学の土台に立たねばならぬ事は勿論であるけれども、日本言語学――謂はゞ、さう言ふべきもの――をも確立しなければならぬ。日本の文法は、日本言語学と言つていゝものであらうが、今の文法は純粋に学問ではなく、通弁の学問が少し進歩して来た程度のもので、之を日本言語学と言ふには、少しく淋しい気がする。もつと言語学風になつてもいゝと思ふ。今尚、文章を書く
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