し、常に新しい印象を持たうとしてゆくからである。譬へば「筑波の岳《ヤマ》に黒雲|挂《カヽ》り衣袖漬《コロモデヒタチ》の国」といふ風俗の諺(常陸風土記)、其ひたちの国[#「ひたちの国」に傍点]だけは始中終新しくなつてゆくけれども、「筑波の岳に黒雲挂り衣袖漬」は固定してゐる詞句である。ところが、此諺を見ると、我々にも何だか訣る様な気もする。さういふ気がしなくとも、言葉を知る能力が発達して来て、知らうとする慾望だけは持つて居るから、之が理会力と一つになつて、いろ/\に説明して、何とか訣らして了ふ。既に、風土記では日本武尊、東夷の国を巡狩なされて、新治の県においでになつた時、国造比那良珠[#(ノ)]命、新に井を掘らしめたところが、泉浄澄にして愛はしかつた。尊、御輿を停めて、水を翫び、手を洗ひ給うた故に、御衣の袖が泉に垂れて沾れた、即ち、袖を漬《ヒタ》す義に依つて、此国の名としたと言ふのである。ところが、中には説明しようにも、説明のつかぬといふのが幾らもあつた。讃められる語は訣つてゐても、讃める方の詞章が訣らぬので、結局、此方を妥協して訣る様に/\してゆく。つまり、讃められる語の意味を、讃める詞
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