を讃めるといふことは、その土地の神を讃めるのと同じ効果と結果とを持つ。とにかく、正面から現実を讃めてゐるといふのは少ない。「豊葦原[#(ノ)]瑞穂[#(ノ)]国」といふのも、決して、米の豊かに稔る楽土であることを讃め称へたのではない。「この国はお米がよく出来るんだぞ」と、土地の精霊[#「精霊」に傍点]に言つて聞かせた言葉であつた。さう言つて置けば、此言葉通りの国になる事が出来る、といふ信仰だ。常陸風土記には、それが一番はつきりと見えて居る。風俗《クニブリノ》諺、風俗[#(ノ)]説、或は単に風俗とも書いて、幾らも出て来るものが、このことわざ[#「ことわざ」に傍点]である。かうした国の讃詞、神の讃詞には、必ず決《キマ》つた詞句があつた。神を讃めるには、其御名の上に、その決つた詞句をつけるといふ風にする。
是が使用し慣れてくると、上に冠せる讃詞だけを出して、本道の神の名は出さずとも訣る様になる。更にさうしてゐるうちには、時が経つに従つて、讃詞とその内容とが訣らなくなつて了ふ。讃詞だけが古くなり、何時までも固定したまゝで、記憶し直すといふことがないが、下につける神の名、国の名は何時でも記憶し直
前へ 次へ
全65ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング