、たゞ「消ぬべく」と言つていゝ所を、けなば[#「けなば」に傍線]と条件をつけて言つて居る。此類例は、集中に、他にもあつて、「……消なば消ぬかに恋ひ思ふ吾妹」(巻四)などがある。恋ひ焦がれて、自分の体も何も滅入りこんで了つてゐる気持を言つたものだが、此場合でも、「消ぬかに」だけで済むところを、「けなば」といふ条件をつける。かうした例を見てくると、少し種類は異るけれども、いぬ[#「いぬ」に傍線]・ねなく[#「ねなく」に傍線]などと同じく、ある動詞の、単に動詞だけでは意義が完全に出来ぬので、条件をつけねばならぬといふ類のものゝあつた事が訣る。今日では、其を用ゐ慣れて来てゐる結果、条件をつけずとも訣る様になつてゐるといふのに過ぎぬ。動詞だけを出して訣る様になる迄の間には、けなば[#「けなば」に傍線]といふ様な条件をつけて言はなければならぬ時代が、ずつと、あつたのだ。記紀万葉に於いて、条件がなくとも訣るといふ語は、必ずや、かうした経過を通つて来て、熟練した結果であるに違ひない。
かに[#「かに」に傍線]は副詞を受ける語尾だ。初めから句をうけてゐるかに[#「かに」に傍線]があり、単に動詞を受けてゐる様に見えるものなどもあるが、本道の形は、之がついたら副詞句になるのである。「消なば消ぬ」といふ文章――とは言へぬまでも文章に近い形――をかに[#「かに」に傍線]で受けて、副詞句にして了ふ。だから、成立から見れば、消ぬかに[#「消ぬかに」に傍線]と続いた語ではなく、消なば消ぬ[#「消なば消ぬ」に傍線]にかに[#「かに」に傍線]がついたものだ。一部の単語を承けてゐるのではない。消ぬかに[#「消ぬかに」に傍線]の語調を強める為にけなば[#「けなば」に傍線]をつけたと言ふのではないのである。昔の学者も、これに就いては、非常に簡単に説いて了つて居るが、其経過の後に、初めて、けぬかに[#「けぬかに」に傍線]の形が独立して「けぬかに思ほゆ」などといふ言ひ方が出て来るのだ。若し此経路さへ考へることが出来れば、それと同じ道を取つてゐる語の、相当にあることを思はねばならぬ。が、残念なことには、之も亦、一種類の語しか残留して居ない。之が文献にたつた一つ残されて居るといふことは、前に説明した通り、文献以前の文学の所為で、何かの理由で、此語だけが評判を得たからである。たつた一例だから駄目だと言ふなら、他を説明
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