なければならぬ、といふ言葉乃至は文章があつた。是は勿論、其時に出来たものではなく、昔から伝はつてゐる詞句で、前代の伝承として、後代にも其を伝へるべく、どうしても記憶してゆかねばならぬものだ。人々の間に生きてゐる言葉といふものは、どん/\変化してゆくが、之とは亦別に、変化しない、固定した詞章を覚えてゆく一群の職業者がある。神事に従ふ人・まじっく[#「まじっく」に傍点]を施す人、詞章の種類性質によつて、その伝承者は違ふけれども、とにかく古詞章を記憶し、其を伝へてゆく団体が幾つもあつた。是が次第に亡びてゆく様になると、伝承者は高貴の生活をしてゐる人の上に移つてゆく。尊族・貴族の方々は、殆ど神に近い生活をされてゐるから、さうした神聖な詞章が伝承してゆかれる訣で、さうした家柄の子弟の教育は、かゝる古い詞章を覚えることであり、此教育は平安朝まで続いた。かうして、次第に神事に関係ない者に、神聖なる詞章が伝承されてゆくことになる。是が所謂、ことわざ[#「ことわざ」に傍点]といふもので、句又は短い文章である。何の為に之を伝へたかは、はつきりは訣らない。或は昔からのもの、神聖なものだから、として伝へたものであつたらうかとは思ふが、それにたつた一つだけの意味を考へてみよう。
三
古くから伝承してゐる詞句には、国のすぴりっと[#「すぴりっと」に傍点]が宿つてゐる――国の威力が籠つてゐると信じた。だから其国の重要な位置にある人は、必ず之を受け伝へなければ、威力がなくなつて了ふ。その為に、どうしても、この古詞章は覚えなければならなかつたのだ。かうして伝承されたものがことわざ[#「ことわざ」に傍点]で、その一部分がうた[#「うた」に傍点]である。ことわざ[#「ことわざ」に傍点]は、大抵は、もとは讃詞《ホメコトバ》である。讃詞は、現状を讃美するのが本旨ではなくて、さうなつてくれゝばいゝといふことを、相手たるすぴりっと[#「すぴりっと」に傍点]に言ひ聞かせる、すると精霊は、其発せられた詞章に責任を感ずる――客観的に言へば、言葉の威力によつて、相手をちやーむ[#「ちやーむ」に傍点]させる――即ち、言葉に感染させることだ。かうした讃詞は、従つて、国のことか、神か乃至は神に近い生活をするもの、譬へば領主などに関するものが多いのは当然である。国と言ひ、神といふのも、結局は一つで、土地の領主
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