もので、半熟である。今の中に、まう一度、訂正することなしに、捨てゝ置いたならば、古代精神を閃めかしてゐる、国中の古い民俗が、次第に亡びて行つて了ふに違ひない。幸に日本は、他の国に較べて、確かに、非常に古い精神を遺してゐる。物忘れをしないのか、頑固なのか、古い生活を、近代風に飜訳しながら、元の形を遺してゐる。陰陽道にも、仏教・儒教にも妥協しながら、新しい形の中に、古いものを遺してゐる。
譬へば、盆の精霊棚は、仏教のものではなく、神道固有のものに、仏教を多少取り入れたものである。又七夕も、奈良朝以前に、支那の陰陽道の乞巧奠の信仰、即、星まつりの形式の這入つたものだ、と思はれてゐるが、ほんとうは、日本固有のものである。其が、後に迄伝つたのは、陰陽道の星まつりの形式と、合体した為である。表面だけを見て、俗神道だ、仏教的だ、など言うてゐてはならない。
神道家の中には、陰陽師・法印・山伏しなどで、明治に這入つて、神官となつたものがある。三四十年の間に、神道の形が出来たのであつて、其処には、陰陽道・仏教・儒教等への変な妥協や、欠陥があるに違ひない。其を指摘し、更に今までの法印や、陰陽師等のやつてゐた事の中にも、神道の古代精神を、見出さなければならない。此は神道そのものゝ為ばかりではなく、日本人の生活に、まう一度、新しい興奮を持ち来す為でもある。
今の世がよくない、とは思はないが、糜爛し切つてゐる事は、事実である。其には、文芸復興によつて、清新な気持ちを吹き込まなければならない。十年前に、万葉熱の起つたのは、その先触れと見る事が出来る。今は、万葉ぶりを標榜しながら、新しい精神のない時代に這入つてゐる。此処に、おぞん[#「おぞん」に傍線]が必要となる。海の彼方、常世国から、遠く高天原から、青い/\空気を、吸ひ込まなければならない。

     一三 国民性の基礎

明治以後、安直な学問が栄えたが、もつと本式に腰を据ゑて、根本的に、古代精神の起つて来るところを研究して、古代の論理を尋ねて来る必要がある。其が、日本の国民性の起りである。芳賀先生の「国民性十論」以来、日本の国民性と言へば、よい処ばかりを並べてゐるが、事実はよい事のみではない。もつと根本に溯つて、国民性の起つて来る、周囲の法則・民族性の論理、即、古代論理の立て方を、究めなければならない。此処から、国民性も起つて来るのである。何の為に、忠君愛国の精神がありながら、下剋上の考へが起つて来たのであらうか。どうしても、古代論理にまで溯つて、考へて見なければならないのである。かう言つた種々の問題は、まう一度、ほんとうに情熱をもつて、祖先の生活を考へ、以て古代論理を研究しなければならないと思ふ。



底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
   1995(平成7)年4月10日初版発行
初出:「民俗学 第一巻五・六号、第二巻第二号」
   1929(昭和4)年11、12月、1930(昭和5)年2月
※「昭和四年八月三十・三十一日、信濃人会講演筆記」の記載が底本題名下にあり。
※底本の題名の下に書かれている「昭和四年八月三十・三十一日、信濃人会講演筆記。昭和四年十一・十二月、五年二月「民俗学」第一巻五・六号、第二巻第二号」はファイル末の「初出」欄、末尾注記に移しました。
※底本では「訓点送り仮名」と注記されている文字のうち「ノ」「ツ」「能」「爾」は本文中に小書き右寄せになっています。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2006年4月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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