仕へてゐる最尊貴な、神聖な神の后を、神と考へる様になつた。私の考へでは、天照大神も、かうした意味の神である。此点で、社々にある姫神と、同じに考へることが出来ようと思ふ。神典を見ても、大神は始終、たかみむすび[#「たかみむすび」に傍線]の神に御相談なさつていらせられる。此たかぎ[#「たかぎ」に傍線]の神が、日の神かどうかは、此処では触れないでおく。
八 語原論の改革
今の一例でも訣るやうに、記・紀・万葉その他の語の研究は、まう一度、根本から、やり直さなければならないと思ふ。訣つてゐる、と思うてゐる語も、冷やかに考へ直して見ると、訣らないで、通つてゐることが多い。此は、語原的の説明が、あやふやだからである。学者がかうだ、と説明する以前に、学者が疑ふことが出来ない程、昔から確かに、信ぜられて来た伝へがある。こゝで最初から、語原論をやり直す必要がある。
今日までの語原論は、奈良朝を出発点として、其以後の言葉で調べてゐるが、日本の言葉には、もつと古い歴史が見られる。何と言うても、古代研究には、材料が乏しい。諸外国の民俗と比較し、日本の書物に残つてゐる、古語・死語の解剖――尤、此には
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