と、神聖味が薄くなると思うたのであらう。
古事記・日本紀ともに、其文章は、同時代のものを記してゐる、とは言へないばかりでなく、此事を頭に入れて置かなくては、国語の研究は行きづまる。此点を突き破ると、国語・国文及び、日本神道の研究も、変つて来ると思ふ。此までの研究は、余りに常識的な、一時代前の研究を、基礎としてゐたのである。
五 信仰推移
日本の神道並びに、日本の国民道徳は、大昔なりに、一つも変つてゐないやうに、予め考へてゐるが、実は段々、変化してゐるのである。其は、此迄の考へ方からすれば、不愉快な事であらうが、変ればこそ、良くもなつて来てゐるのである。我々の祖先は、いづれ今程、いゝ生活はしてゐなかつたらうと思ふ。
もう一つの考へは、昔は理想的の国であつたが、今はおとつよ[#「おとつよ」に傍線]、仏教の所謂、澆季の世であるとする事である。其は、空想にすぎない。昔の道徳・信仰が、今までの間に、次第に変化してゐることは訣る。それだからと言うて、今の道徳・信仰が、直に宜しくないとは言へない。動揺してゐるのが統一され、整理せられるだけの時代を経て、後に、価値の多寡を言ふことが出来る
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