津日神・直日神の出て来る訣がない。
允恭天皇の世、大和国|味白檮岡《アマカシノヲカ》の言八十禍津日前《コトノヤソマガツヒノサキ》で、探湯《クガタチ》をしたことがある。家々の系図《ツギブミ》――古くはつぎ[#「つぎ」に傍線]、記録になつたのがつぎぶみ[#「つぎぶみ」に傍線]、後にはよつぎ[#「よつぎ」に傍線]と言ふ。天皇では、ひつぎ[#「ひつぎ」に傍線]又はあまつひつぎ[#「あまつひつぎ」に傍線]といふ――の、正邪を判断する為に、其を口に唱へさせながら、手を湯につけさせた。即、当時にあつても、伝承による言葉に、誤りあることを知つてゐたのである。
天孫降臨の章は、大切な所であるが、尚、古事記・日本紀・日本紀一書皆、おなじ言葉の伝へが、区々である。日本紀は、漢文で書いたものであるが、其天孫が、日向へ下られた道筋の大切なところは、日本語でうつしてゐる位である。語部の伝ふべき一番大切な言葉が、固定した為に訣らなくなり、神聖な言葉なので、改作もせなかつたが、伝へを異にするやうになつた。或家の伝として、三種又は、四種の伝へがあるが、皆訛つてゐる。此様に、変つて行くのであるから、単語の変るのは、当然の
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