考へたのである。此復活の信仰は、日本の古代には、強いものであつた。
近世神道で考へてゐる鎮魂の意味は、多少誤解からして、変化してゐるやうである。即游離した魂を、再、身につけるたましづめ[#「たましづめ」に傍線]の意味になつてゐるが、古くは、外来魂(威霊)を身につける、たまふり[#「たまふり」に傍線]の意味であつた。

     三 惟神の道

主上の行為を、神ながらといふ。神として・神のゆゑ・神のせいと言ふ意味で、神のまゝ、と言ふ事ではない。ながら[#「ながら」に傍線]は、のから[#「のから」に傍線]で、神のせいで、さういふ事をする、といふのである。惟神の文字の初めて見えたのは、日本紀孝徳天皇の条で、又随神とも書いてゐる。主上が、神として何々をする、と言ふ時には惟神、神の意志のとほりに行ふ、と言ふ時には随神と書いたやうである。
万葉集などにある、惟神の用語例が、最古のものだ、と考へてゐる人もあるが、さうは思はない。万葉集に見える例も、浮動してゐるので、記・紀・万葉等の用語例を、日本最古のものとする考へ方は、よくないと思ふ。もつと前に、もつと古い意味があつたのが、幾度か変化して後、記・紀
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