厳重に行はれたもので、ものおもひ[#「ものおもひ」に傍線]と言うてゐる。後には、誤つた聯想から、服喪の意味に考へて来た。
元々一つの御殿を、悠紀殿・主基殿に分けたのは、生死を分けて考へる様になつたからであらう。二殿に、衾が別々に置いてあつても、其処で古い方の魂が、新しい方に移ると考へた。万葉の人麻呂の歌を見ても、天武天皇が、飛鳥の真神个原の御陵に移され、それから岩戸を開いて、天に昇られたとあるが、此は、信仰が変つてゐる。昇天するのではなく、其魂が、授受の形式で移るので、信仰的には、復活した事になるのである。
日本民族の、此国土に於ける生活は、長い歴史を持つてゐるのであつて、一部学者の言ふやうに、千年やそこらの事ではなく、かなり久しいものなのである。其長い歴史の間、天皇の魂の授受せられて行く中に、次第に天皇の死を考へて来た。もとは復活なさるとのみ考へ、天皇霊――稜威が著いたと信じてゐた。
天皇が、大和に移られてからは、大和を治める為には、大和の魂を持たねばならなかつた。其大和の魂を持つてゐたのは、物部氏だと考へられてゐた。最初は、にぎはやひ[#「にぎはやひ」に傍線]の命であつた。神武天皇
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