如くなれども、磯より西の方に、窟戸あり、高さ広さ各六尺許。窟内に穴あり。人入ることを得ず。深浅を知らず。夢に此磯の窟の辺に至る者は、必死す。故に俗人古より今に至る迄|号《ナヅ》けて黄泉《ヨミ》の阪|黄泉《ヨミ》の穴と言へり。
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夢にでも行けば死ぬと言ふので、正気では、巌の西に廻らないのである。(伯耆の夜見島大根島などを夜見の国・根の国に聯想した先人の考へも、地方《ヂカタ》から近きに過ぎる様に思はれるが、島を死の国と見た処は、姑《しば》らく棄て難い。海上遥かな死の島への道が、海底を抜けて向うへ通じて居ると言ふ考へが一転すると、海底にある国と言ふ様に変る。出雲風土記のも、或はさうした時代の考へ方に属してゐるのかも知れない。大祓詞の方も、底の国といふ語に重きをおいて考へれば、海中深く吹き込むと説ける。併し又、遠隔した死の島へ向けて吹きつけるともとられる様で、どうでも解釈は出来る。何にしても、出雲びとも、大倭《ヤマト》びとも、海と幽冥界《カクリヨ》とを聯絡させて考へて居たと思うてもよい様である)。
七 楽土自ら昇天すること
奄美大島から南の鹿児島県下の島々は、どの点からでも、琉球と一と続きの血筋であるが、琉球の北端から真西に当る伊平屋《イヘヤ》群島をこめて、なるこ・てるこ[#「なるこ・てるこ」に傍線]と言ふ理想国を考へてゐる。伊平屋は、南方のまやの国[#「まやの国」に傍線]の考へも持つて居た様だし、琉球本島のにらいかない[#「にらいかない」に傍線]をも知つて居た事は、巫女の伝誦して居た神文をば証拠にする事が出来る。尚、琉球本島の宗教で、にらいかない[#「にらいかない」に傍線]以上のものとしたをぼつかぐら[#「をぼつかぐら」に傍線]と言ふ地の名さへ唱へた様である。本島では、天の事をあまみや[#「あまみや」に傍線]と言つた様に見えるが、此も神の名あまみきょ[#「あまみきょ」に傍線]・しねりきょ[#「しねりきょ」に傍線]から想像出来るあまみ[#「あまみ」に傍線]・しねり[#「しねり」に傍線]も楽土の名から出たものらしい。をぼつかぐら[#「をぼつかぐら」に傍線]なる天上の神の国が琉球の信仰の上に現れたのは、当時の人の考へ得た限りでの、全能な神を欲する様になつてからの事であらう。私どもの今の宗教的印象を分解して見ても、幽冥界《カクリヨ》に属してゐる者は、一つに扱うて居る場合が多い。単に神の住みかと言ふだけではない。悪魔の世界なる内容も持つて居る。神・悪魔・死霊など、其性質に共通した点が尠くない。其著しい点は、皆夜の世界に属する事である。鶏鳴と共に顕明界《ウツシヨ》に交替するからだ。一番鶏に驚いて事遂げなかつたのは、魔や霊に絡んだ民譚だけではない。神々すら屡鶏の時をつくる声の為に、失敗した事を伝へてゐる。尊貴な神にすら、祭りの中心行事は、夜半鶏鳴以前に完へる事になつて居る。わが国の神々の属性にも存外古い種を残してゐるので、太陽神と信じて来た至上神の祭りにすら、暁には神上げをしなければならなかつた。古今集大歌所の部と、神楽歌とに見えた昼目《ヒルメノ》歌を見れば、祭りの暁の気持ちは流れこむ様に、私どもの胸に来る。昔になるほど、神に恐るべき要素が多く見えて、至上の神などは影を消して行く。土地の庶物の精霊及び力に能はぬ激しい動物などを神と観じるのも、進んだ状態で、記録から考へ合せて見ると、其以前の髣髴さへ浮んで来るのである。其が果して、此日本の国土の上であつた事か、或は其以前の祖先が居た土地であつた事かを疑はねばならぬ程の古い時代の印象が、今日の私どもの古代研究の上に、ほのかながら姿を顕して来る事は、さうした生活をした祖先に恥ぢを感じるよりも、堪へられぬ懐しさを覚えるのである。庶物の精霊に「媚び仕へ」をした時代に、私どもの祖先の生活に段々力を持つて来、至上の神に至る段階になつた神と、神の国との話をせなければならなくなつた。
くどいまでに、琉球の例をとつて来たのは、此話をすらりと通す為である。生物・無生物が、些《すこ》しの好意もなしに、人居を廻つて居る事を、絶えず意識に持つた祖先の生活を考へて見ればよい。古風土記には、いづれもさう言ふ活き物としての自然と闘うた暮し方の、後々まで続いてゐた事を示す幾多の話を書きとめてゐる。記録に載つて、私どもに最遠い「古代」を示す祖先たちは、海岸から遠ざかる事を避けた村人であつたと思はれる。山地に村を構へた人々の上は、今語る古代には、まだ現れなかつたのである。記録の年立《トシダテ》に随ふなら、神武以前の物語をする事になる。
八 まれびと[#「まれびと」に傍線]のおとづれ
祖先の使ひ遺した語で、私どもの胸にもまだある感触を失はないのは「まれびと」といふ語である。「まらうど」と言ふ形をとつて後、昔の韻を失うて了うた事と思はれる。まれびと[#「まれびと」に傍線]の最初の意義は、神であつたらしい。時を定めて来り臨む神である。大空から、海のあなたから、或村に限つて、富みと齢と其他若干の幸福とを齎して来るものと、村人たちの信じてゐた神の事なのである。此神は宗教的の空想には止らなかつた。現実に、古代の村人は、此まれびと[#「まれびと」に傍線]の来つて、屋の戸を押《オソ》ぶるおとづれ[#「おとづれ」に傍線]を聞いた。音を立てると言ふ用語例のおとづる[#「おとづる」に傍線]なる動詞が、訪問の意義を持つ様になつたのは、本義「音を立てる」が戸の音にばかり偏倚したからの事で、神の来臨を示すほと/\と叩く音から来た語と思ふ。まれびと[#「まれびと」に傍線]と言へばおとづれ[#「おとづれ」に傍線]を思ふ様になつて、意義分化をしたものであらう。戸を叩く事に就て、根深い信仰と聯想とを、未だに持つてゐる民間伝承から推して言はれる事である。宮廷生活に於てさへ、神来臨して門におとづれ、主上の日常起居の殿舎を祓へてまはつた風は、後世まで残つてゐた。平安朝の大殿祭は此である。
夜の明け方に、中臣《ナカトミ》・斎部《イムベ》の官人二人、人数引き連れて陰明門におとづれ、御巫《ミカムコ》(宮廷の巫女)どもを随へて、殿内を廻るのであつた。かうした風が、一般民間にも常に行はれてゐたのであるが、事があまり刺戟のない程きまりきつた行事になつてゐたのと、原意の辿り難くなつた為に、伝はる事尠く、伝へても其遺風とは知りかねる様になつて了うてゐたのである。此よりも古い民間の為来《しきた》りでは、万葉の東歌《アヅマウタ》と、常陸風土記から察せられる東国風である。新嘗の夜は、農作を守つた神を家々に迎へる為、家人はすつかり出払うて、唯一人その家々の処女か、主婦かゞ留つて、神のお世話をした様である。此神は、古くは田畠の神ではなく、春のはじめに村を訪れて、一年間の予祝をして行つた神だつたらしい。
此まれびと[#「まれびと」に傍線]なる神たちは、私どもの祖先の、海岸を逐うて移つた時代から持ち越して、後には天上から来臨すると考へ、更に地上のある地域からも来る事と思ふ様に変つて来た。古い形では、海のあなたの国から初春毎に渡り来て、村の家々に一年中の心躍る様な予言《カネゴト》を与へて去つた。此まれびと[#「まれびと」に傍線]の属性が次第に向上しては、天上の至上神を生み出す事になり、従つてまれびと[#「まれびと」に傍線]の国を、高天原に考へる様になつたのだと思ふ。而も一方まれびと[#「まれびと」に傍線]の内容が分岐して、海からし、高天原からする者でなくても、地上に属する神たちをも含める様になつて、来り臨むまれびと[#「まれびと」に傍線]の数は殖え、度数は頻繁になつた様である。私の話はまれびと[#「まれびと」に傍線]と「常世《トコヨ》の国」との関係を説かねばならなくなつた。
九 常世の国
常世の国は、記録の上の普通の用語例は、光明的な富みと齢との国であつた。奈良朝以前から既に信仰内容を失うて、段々実在の国の事として、我国の内に、此を推定して誇る風が出来て来た様である。常陸風土記に、自ら其国を常世の国だとしたのは、其一例である。人麻呂の作と推測される「藤原[#(ノ)]宮の役《エ》[#(ノ)]民《タミ》の歌」を見ても「我が国は常世にならむ」と言うてゐるのは、藤原の都の頃既に、常世を現実の国と考へてゐたからである。此等から見ると、海外に常世の国を求める考へ方は古代の思想から当然来る自然なものである。出石《イヅシ》びとの祖先の一人たるたぢまもり[#「たぢまもり」に傍線]が「時じくの香《カグ》の木実《コノミ》」を採りに行つたと伝へる常世の国は、大体南方支那に故土を持つた人々の記憶の復活したものと見る事が出来る。此史実と思はれてゐる事柄にも、若干民譚の匂ひがある。垂仁天皇の命で出向いた処、還つて見れば、待ち歓ばれるはずの天子崩御の後であつたと言ふ。理に於て不都合な点は見えぬが、常世の国なる他界と、我々の住む国との間に、時間の基準が違うてゐると言ふ民譚の、世界的類型を含んでゐる事を示してゐる。浦島子の行つたのも、やはり常世の国であつた。此物語では「家ゆ出でゝ三年のほどに、垣も無く家失せめやも(万葉巻九)」と自失したまでに、彼土と此国との時間の物さしが違うてゐた。浦島の話は、更に一つ前の飛鳥の都の頃に既に纏つて居たものらしいが、早くもわたつみの宮[#「わたつみの宮」に傍線]ととこよの国[#「とこよの国」に傍線]とを一つにしてゐる。海底と海のあなたとに相違を考へなくなった事は、前にも述べた通りである。
常世の国を理想化するに到つたのは、藤原の都頃からの事である。道教信者の空想した仙山は、不死常成の楽土であつた。其上帰化人の支那から持ち越した通俗道教では、仙境を恋愛の理想国とするものが多かつた。我国のとこよ[#「とこよ」に傍線]にも恋愛の結びついて居るのは、浦島の外に、ほをりの命[#「ほをりの命」に傍線]の神話がある。此は疑ひなく、海中にある国として居る。唯浦島と変つて居る点は、時間観念が彼此両土に相違のない事である。此海中の地は、わたつみの国[#「わたつみの国」に傍線]と謂はれてゐる。此神話にも、富みと恋との常世の要素が十分にはひつて来てゐる。富みの豊かな側では、古代人の憧れがほのめいてゐる。海驢《ミチ》の皮畳を重ね敷いた宮殿に居て、歓楽の限りを味ひながら、大き吐息《ナゲキ》一つしたと言ふのは、万葉歌人に言はせれば、浦島同様「鈍《オゾ》や。此君」と羨み嗤ひをするであらう。ほをりの命[#「ほをりの命」に傍線]の還りしなに、わたつみ[#「わたつみ」に傍線]の神の釣《ツ》り鈎《バリ》を手渡すとて訓《をし》へた呪言は「此|鈎《ハリ》や、呆鈎《オボチ》・噪鈎《スヽチ》・貧鈎《マヂチ》・迂鈎《ウルチ》」と言ふのであつた。此鈎を受けとつた者は、これ/\の不幸を釣上げろと呪ふのである。其上に水を自在に満干させる如意珠を贈つて居るのは、農村としての経験から出てゐるので、富みの第一の要件を握る事になるのである。貧窮を与へる事の出来る神の居る土地は、とりも直さず、富みについても、如意の国土であつた訣である。
とこよ[#「とこよ」に傍線]と言ふ語が常に好ましい内容を持つてゐるに拘らず、唯一つ違つた例は皇極天皇紀にある。秦《ハタ》[#(ノ)]河勝《カハカツ》が世人から謳はれた「神とも神と聞え来る常世の神」を懲罰した其事件の本体なる常世神は、長さ四寸程の緑色で、黒い斑点のあつた虫だつたとある。橘の樹や蔓椒《ホソキ》に寄生したものを取つて祀つたのである。「新しき富み入り来れり」と呼んで、家々に此常世神を取つて清座に置き、歌ひ舞うたと言ふ。巫覡の託言に「常世神を祭らば、貧人は富みを致し、老人は少《ワカ》きに還らむ」とあつた。かうした邪信と見るべきものだが、根本の考へは、やはり変つて居ない。常世並びに常世から来る神の内容を明らかに見せてゐる。
一〇 とこよ[#「とこよ」に傍線]の意義
とこよと言ふ語は、どう言ふ用語例と歴史とを持つてゐるか。とこ[#「とこ」に傍線]
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