言ふ形をとつて後、昔の韻を失うて了うた事と思はれる。まれびと[#「まれびと」に傍線]の最初の意義は、神であつたらしい。時を定めて来り臨む神である。大空から、海のあなたから、或村に限つて、富みと齢と其他若干の幸福とを齎して来るものと、村人たちの信じてゐた神の事なのである。此神は宗教的の空想には止らなかつた。現実に、古代の村人は、此まれびと[#「まれびと」に傍線]の来つて、屋の戸を押《オソ》ぶるおとづれ[#「おとづれ」に傍線]を聞いた。音を立てると言ふ用語例のおとづる[#「おとづる」に傍線]なる動詞が、訪問の意義を持つ様になつたのは、本義「音を立てる」が戸の音にばかり偏倚したからの事で、神の来臨を示すほと/\と叩く音から来た語と思ふ。まれびと[#「まれびと」に傍線]と言へばおとづれ[#「おとづれ」に傍線]を思ふ様になつて、意義分化をしたものであらう。戸を叩く事に就て、根深い信仰と聯想とを、未だに持つてゐる民間伝承から推して言はれる事である。宮廷生活に於てさへ、神来臨して門におとづれ、主上の日常起居の殿舎を祓へてまはつた風は、後世まで残つてゐた。平安朝の大殿祭は此である。
夜の明け方に、中臣《ナカトミ》・斎部《イムベ》の官人二人、人数引き連れて陰明門におとづれ、御巫《ミカムコ》(宮廷の巫女)どもを随へて、殿内を廻るのであつた。かうした風が、一般民間にも常に行はれてゐたのであるが、事があまり刺戟のない程きまりきつた行事になつてゐたのと、原意の辿り難くなつた為に、伝はる事尠く、伝へても其遺風とは知りかねる様になつて了うてゐたのである。此よりも古い民間の為来《しきた》りでは、万葉の東歌《アヅマウタ》と、常陸風土記から察せられる東国風である。新嘗の夜は、農作を守つた神を家々に迎へる為、家人はすつかり出払うて、唯一人その家々の処女か、主婦かゞ留つて、神のお世話をした様である。此神は、古くは田畠の神ではなく、春のはじめに村を訪れて、一年間の予祝をして行つた神だつたらしい。
此まれびと[#「まれびと」に傍線]なる神たちは、私どもの祖先の、海岸を逐うて移つた時代から持ち越して、後には天上から来臨すると考へ、更に地上のある地域からも来る事と思ふ様に変つて来た。古い形では、海のあなたの国から初春毎に渡り来て、村の家々に一年中の心躍る様な予言《カネゴト》を与へて去つた。此まれびと[#「まれびと」に傍線]の属性が次第に向上しては、天上の至上神を生み出す事になり、従つてまれびと[#「まれびと」に傍線]の国を、高天原に考へる様になつたのだと思ふ。而も一方まれびと[#「まれびと」に傍線]の内容が分岐して、海からし、高天原からする者でなくても、地上に属する神たちをも含める様になつて、来り臨むまれびと[#「まれびと」に傍線]の数は殖え、度数は頻繁になつた様である。私の話はまれびと[#「まれびと」に傍線]と「常世《トコヨ》の国」との関係を説かねばならなくなつた。

     九 常世の国

常世の国は、記録の上の普通の用語例は、光明的な富みと齢との国であつた。奈良朝以前から既に信仰内容を失うて、段々実在の国の事として、我国の内に、此を推定して誇る風が出来て来た様である。常陸風土記に、自ら其国を常世の国だとしたのは、其一例である。人麻呂の作と推測される「藤原[#(ノ)]宮の役《エ》[#(ノ)]民《タミ》の歌」を見ても「我が国は常世にならむ」と言うてゐるのは、藤原の都の頃既に、常世を現実の国と考へてゐたからである。此等から見ると、海外に常世の国を求める考へ方は古代の思想から当然来る自然なものである。出石《イヅシ》びとの祖先の一人たるたぢまもり[#「たぢまもり」に傍線]が「時じくの香《カグ》の木実《コノミ》」を採りに行つたと伝へる常世の国は、大体南方支那に故土を持つた人々の記憶の復活したものと見る事が出来る。此史実と思はれてゐる事柄にも、若干民譚の匂ひがある。垂仁天皇の命で出向いた処、還つて見れば、待ち歓ばれるはずの天子崩御の後であつたと言ふ。理に於て不都合な点は見えぬが、常世の国なる他界と、我々の住む国との間に、時間の基準が違うてゐると言ふ民譚の、世界的類型を含んでゐる事を示してゐる。浦島子の行つたのも、やはり常世の国であつた。此物語では「家ゆ出でゝ三年のほどに、垣も無く家失せめやも(万葉巻九)」と自失したまでに、彼土と此国との時間の物さしが違うてゐた。浦島の話は、更に一つ前の飛鳥の都の頃に既に纏つて居たものらしいが、早くもわたつみの宮[#「わたつみの宮」に傍線]ととこよの国[#「とこよの国」に傍線]とを一つにしてゐる。海底と海のあなたとに相違を考へなくなった事は、前にも述べた通りである。
常世の国を理想化するに到つたのは、藤原の都頃からの事である。道教信者の空想した仙山
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