は元、村の人々の死後に霊の生きてゐる海のあなたの島である。そこへは、海岸の地の底から通ふ事が出来ると考へる事もある。「死の島」には、恐しいけれど、自分たちの村の生活に好意を期待することの出来る人々が居る。かうした考へが醇化して来るに連れて、さうした島から年の中に時を定めて、村や家の祝福と教訓との為に渡つて来るものと考へる事になる。而も、此記憶がさうなつて久しい後まで断篇風に残つて居て、楽土の元の姿を見せて居るのである。
琉球諸島の現在の生活――殊に内部――には、万葉人の生活を、その儘見る事も出来る。又、万葉人以前の俤さへ窺はれるものも、決して尠くない。私どもの古代生活の研究に、暗示と言ふより、其儘をむき出しにしてくれる事すら度々あつた。私は今、日琉同系論を論じてゐるのではない。唯、東亜細亜の民族と同系を論ずる態度と、一つに見られたくない。此論が回数を重ねるほど、私の語は、愈《いよいよ》裏打ちせられてゆくであらう。

     六 根の国・底の国

祓禊《ハラヘミソギ》の基礎となる観念は、やはり唯海原に放つだけではなく、此土の穢れを受けとる海のあなたの国を考へて居たものと思はれる。船に乗せて流す様式が、祓の系統にあると言ふ事は、其行き着く土を考へに持つて居るのである。「かくかゝ呑みてば、気吹戸《イブキド》にいますいぶきどぬし[#「いぶきどぬし」に傍線]と言ふ神、根《ネ》の国・底《ソコ》の国にいぶき放ちてむ。かくいぶき放ちてば、根の国・底の国にいますはやさすらひめ[#「はやさすらひめ」に傍線]と言ふ神、持ちさすらひ失ひてむ」とある六月晦大祓の詞は、必しも此土に居た古代人の代表的な考へと言ひきる事も出来まいし、又祝詞の伝誦が、久しく口頭に委ねられて居る間の自然の変化や、開化時代相応の故意の修正のある事が考へられるのであるから、多少注意はいる。が、日本の宗教が神学体系らしいものを持つて後も根の国を海に絡めて言つて居るのは、唯の平地や山辺から入るものとし、単に地の底とばかりで、海を言はぬ神話などよりは、形の正しさを保つて居るものと言ふ事が出来る。出雲風土記出雲郡宇賀郷の条に、
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即、北海の浜に磯《イソ》(大巌石の意)あり。名はなつきの磯[#「なつきの磯」に傍線]と言ふ。高さ一丈許。上に松の木を生ず。磯までは、邑人朝夕に往来する如く、又木の枝も人の攀引する
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