盆のまつ白な月光の下を、眷属大勢ひき連れて来て、家々にあがりこむ。此は考位《ヲトコカタ》の祖先の代表と謂ふ祖父《オシユメイ》と、妣位《ヲンナカタ》の代表と伝へる祖母《アツパア》と言ふのが、其主になつて居る。大人前《オシユメイ》は、家人に色々な教訓を与へ、従来の過ち・手落ちなどを咎めたりする。皆顔を包んで仮装してゐるのだから、評判のわるい家などでは、随分恥をかゝせる様なことも言ふ。其家では、此に心尽しの馳走をする。眷属どもは、楽器を奏し、芸尽しなどをする。
此行事は「あんがまあ」と言ふ。語原は知れぬが、やはり他界の国土の名かと考へられる。私はある夜此行列について歩いて、人いきれに蒸されながら考へた。有名な「千葉笑ひ」、京都五条天神の「朮《ウケラ》参り」の悪口、河内野崎参りの水陸の口論、各地にあつたあくたい[#「あくたい」に傍線]祭りは、皆かうした所に本筋の源があるのではなからうか。さう思つてゐる中に、大人前《オシユメイ》がずつと進んで出て、郡是として、其年から励行する事になつた節約主義を、哄笑を誘ふ様な巧みな口ぶりであてこすつた。村の共通な祖先が出て来て、子孫の中の正統なる村君のやり口を難ずるのに対して、村君も手のつけ様がなかつた理由が知れる。其が尚他の要素を含んで、あくたいの懸け合ひが生れて来たのであらう。
此三通りの人と神との推移の程度を示す儀式が、石垣一島に備つてゐるのである。此神も人も皆、村の青年の択ばれた者が、厳重な秘密の下に、扮装して出るのである。先島の祖先神は、琉球本島から見れば極めて人間らしいあり様を保つて居る。にいる人[#「にいる人」に傍線]と言ふ名は、神の中に人間の要素を多く認めてゐるからなのである。而も、島人の中には、にいる[#「にいる」に傍線]を以て奈落の首将と考へて居る人もある程に、畏怖せられる神である。其は、地下の死後の世界の者で、二体と考へてゐるのは、大人前・祖母の対立と同じ意味であらう。さすれば、死の国土に渡つて後、さうした姿になつたと考へたか、元々さうした者の子孫として居たのか識らぬが、同根の語のにらいかない[#「にらいかない」に傍線]の説明には役立つ。
にらい[#「にらい」に傍線]に対するかない[#「かない」に傍線]は対句として出来た語で、にらい[#「にらい」に傍線]が知れゝば、大体は釈ける。にらいかない[#「にらいかない」に傍線]
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