で、神の国と考へられてゐる処である。儀来河内《ギライカナイ》、じらいかない[#「じらいかない」に傍線]など、色々に発音する。神はこゝから時に海を渡つて、人間の村に来るものと信じて居る。人にして、死んでにらいかない[#「にらいかない」に傍線]に行つて、神となつたものゝ例として遺老説伝には記してゐる。南方、先島《サキジマ》列島に行くと、此浄土の名をまやの国[#「まやの国」に傍線]といふ。先島列島の中、殊に南の島々の寄百姓から出来た八重山の石垣島は、此場合挙げるのに便宜が多い。
宮良《メイラ》といふ村の海岩洞窟から通ふ地底の世界にいる[#「にいる」に傍線](又、にいる底《スク》)と言ふのがあるのは、にらい[#「にらい」に傍線]と同じ語である。此洞からにいるびと[#「にいるびと」に傍線](にらい人[#「にらい人」に傍線])又はあかまた・くろまた[#「あかまた・くろまた」に傍線]と言ふ二体の鬼の様な巨人が出て、酉年毎に成年式を行はせることになつてゐる。青年たちは神と言ふ信念から、其命ずる儘に苦行をする。而も村人の群集する前に現れて、自身踊つて見せる。暴風などもにいる[#「にいる」に傍線]から吹くと言つてゐる。さう言へば、本島でも風凪ぎを祈つて「にらいかない[#「にらいかない」に傍線]へ去れ」と言ふことを伊波普猷氏が話された。にらいかない[#「にらいかない」に傍線]は本島では浄土化されてゐるが、先島では神の国ながら、畏怖の念を多く交へてゐる。全体を通じて、幸福を持ち来す神の国でもあるが、禍ひの本地とも考へて居るのである。唯先島で更に理想化して居るのは、にいる[#「にいる」に傍線]を信じる村と、以前は違つた島々に違うた事情で住んでゐた村々の間で言ふ、まやの国[#「まやの国」に傍線]である。春の初めにまやの神[#「まやの神」に傍線]・ともまやの神[#「ともまやの神」に傍線]の二神、楽土から船で渡つて来て、蒲葵《クバ》笠に顔を隠し、簑を着、杖をついて、家々を訪れて、今年の農作関係の事、其他家人の心をひき立てる様な詞を陳べて廻る。つまり、祝言を唱へるのである。にいるびと[#「にいるびと」に傍線]もやはり成年式のない年にも来て、まやの神[#「まやの神」に傍線]と同様に、家々に祝言を与へて歩くことをする。
五 祖先の来る夜
かうした神々の来ぬ村では、家の神なる祖先の霊が、盂蘭
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