ますと、どうも男と女とは別々の触覚を持つて居つて、別々に違つた感じ方をして居るといふ事がありませう。誤解――どうも恋愛の感じ方といふものが男と女と違つたものがあるやうに存じます。――其出発点から、知識的の遊びが入り込んで来て居るのだらうと思ひますが、さういふ知識的の遊びを知らない時代の、日本人の昔の恋愛のお話をして見ます。此はまことに私の身分相応の事と思ひますから……。
恋愛そのものが、まだ出来ない時代かも知れませぬ。純粋な性欲時代かも知れませぬ。けれどもそこは、皆さんのお考へにお委せすると致しまして、……古代日本人の恋愛の歌と称するものは、ずゐぶん沢山伝はり残つて居ります。古事記・日本紀あたりから、万葉集に到るまで、其から其後にも沢山伝はり残つて居ります。併し、さういふ恋愛の歌といふものは、多くはほんとうの恋愛を歌つたり、或は恋愛の実感を以て歌つたものではないのであります。又さういふ生活があつて、其生活の上に成り立つて来た一種の芸術でもない。寧《むしろ》、芸術にならうとする空想であります。其空想で実感を持たしたものであります。だから吾々が、恋愛の歌だと思つて居るものに、存外ほんとうの
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