大先達のうち立てた学界の定説を、ひつくり返すことも出来さうな弱点を見てゐる。だから、立証すべき信念と、その土台となる知識の準備とを、信頼してよい学者の立てた仮説なら、その解釈や論理に、錯誤のない限りは、民俗学上に、存在の価値を許してよいと思ふ。これを更に、必然化する事は、論者自身或は、後生学者の手でせられてもよいはずである。かう言ふ、自身弁護を考へて後、わりに自由に、物を書く様になつた。唯、柳田先生の表現方法から、遠ざかつて行く事を憂へながらも。私は、自身の素質や経験を、虔しやかな意義において、信じてゐた。だから、私のぷらん[#「ぷらん」に傍線]に現れる論理と推定とが、唯、資料の陳列に乏しい事の外、そんなに寂しいものとは思はなくなつた。虚偽や空想の所産ではないと信じて、資料と実感と推論とが、交錯して生まれて来る、論理を辿る事に努めた。
私は、過去三十年の間に、長短、数へきれぬほど旅をして来た。その中でも、近い十五年は、旅をする用意が変つて来た。民間伝承を採訪する事の外、地方生活を実感的にとりこまうと努めた。私の記憶は、採訪記録に載せきれないものを残してゐる。山村・海邑の人々の伝へた古い
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