向けられて居たに違ひない。或は今頃は、腰の低い町医者として、物思ひもない日々を送つてゐるかも知れなかつた。懐徳堂の歴史を読んで、思はず、ため息をついた事がある。百年も前の大阪町人、その二・三男の文才・学才ある者のなり行きを考へさせられたものである。秋成はかう言ふ、境《ミ》にあはぬ教養を受けたてあひ[#「てあひ」に傍点]の末路を、はりつけもの[#「はりつけもの」に傍点]だと罵つた。そんなあくたい[#「あくたい」に傍点]をついた人自身、やはり何ともつかぬ、迷ひ犬の様な生涯を了へたではないか。でも、さう言ふ道を見つけることがあつたら、まだよい。恐らくは、何だか、其暮し方の物足らなさに、無聊な一生を、過すことであつたらうに。養子にやられては戻され、嫁を持たされては、そりのあはぬ家庭に飽く。こんな事ばかりくり返して老い衰へ、兄のかゝりうどになつて、日を送る事だらう。部屋住みのまゝに白髪になつて、かひ性なしのをっさん[#「をっさん」に傍点]、と家のをひ・めひには、謗られることであつたらう。
これは、空想ではなかつた。まのあたり、先例がある。私の祖父は、大和飛鳥の「元伊勢」と謂はれた神主の家から、迎
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