時でなくてはならぬ。塔が卒塔婆から出、ぱん[#「ぱん」に傍線]が洋人の食料を学んだと言ふ様な伝来の径路の、知れきつたものゝ外は、てら[#「てら」に傍線](寺)なる語が、外来語であると言ふ定説も、ほとけ[#「ほとけ」に傍線]の語原などにも、一応は疑ひを持つて見る必要がある。ふれぃざぁ[#「ふれぃざぁ」に傍線]教授の様に、多くの資料をえ提供しない限り、若干の文献の抜き書きを列ねる位では、唯の比較研究すらも危いと思ふ。茲に、私の眼界の狭く止つてゐる所以がある。
顧みて恥ぢないものがあるとすれば、語原の解釈法である。口頭伝承による詞章ばかりが、存続性を持つた時代には、用語例の理会が、常に変化してゐた。聯想が無制限にはたらくのである。ある一語の語義の固定した時代は、その言語の可なり発達を遂げた後であつた。後世、語原と見做されてゐるのは、わりに、整然とした論理を具へたものである。さうした時代の用例を出発点としてゐる語原説は、発足地に誤謬がある。其以前の自由な時代の形式・内容の変化が、固定した推移の過程は、一向に顧みられないでゐた。品詞や文法の発生を考へる時、我々は常に、ある完成を空想してゐる。
本書中に、みぬま[#「みぬま」に傍線]・みづは[#「みづは」に傍線]・みるめ[#「みるめ」に傍線]・みぬめ[#「みぬめ」に傍線]・みつま[#「みつま」に傍線]・ひぬま[#「ひぬま」に傍線]・ひるめ[#「ひるめ」に傍線]等の形式変化と共に、内容も亦移つて居る事を述べた。而も、聖水及び聖水の使用処なるみつ[#「みつ」に傍線]と言ふ語のみ[#「み」に傍線]は、敬称接頭語と見る俗間語原観から、游離して、つ[#「つ」に傍線]――津――なる単語を発生するに到つた。かうした過程は、つ[#「つ」に傍線]なる単語を、最初のものと定める見地からは、考へられるはずのないものである。そのみつ[#「みつ」に傍線]すら亦聖水以前に、数次の意義変化が考へられる。
又、はな[#「はな」に傍線]と言ふ語にしても、我々は、咲く花を初めから表したものと見て、合理的に語原を考へる。だが、その前に既に、兆象の意義に用ゐられた。農作の豊かなるべきを示すものとして、野山に咲くものを、はな[#「はな」に傍線]と名づけた。兆象の永続せぬ事を見て、脆いことの形容にも、予期に反し易い処から、信頼し難い意にも転用して、はなもの[#「はなもの」
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