」に傍線]などゝ呼ぶ、平安朝の語が出来て来たのだと思ふ。
かう考へて見ると、その言葉が、段々訣つて来るやうに思へる。やすみしゝ[#「やすみしゝ」に傍線]も、何か祭りの時の、印象のある言葉かと思ふ。その時天皇は、遠い処から来たやうな、変つた風をして、常は会はぬ正殿で、改つて人に会ふ、といふ様な事があつたかも知れぬ。とにかく、はつきりせぬが、その輪廓だけは訣る。かうした言葉の数を蒐めて行くと、微かながらも、其ほんとうの姿が訣つて来る。
八十国・八十島といふ、数で表れてゐる語も、普通は、安らかといふ風に考へてゐるが、何か、前述のやうな意味に、関係があるかと思ふ。我々は馴れてしまつて、顧みないのであるが、昔は、国といふ言葉は、明らかに、島と対立した言葉であつた。
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天ざかる鄙《ヒナ》の長路《ナガヂ》ゆ恋ひ来れば、明石の海峡《ト》より大和島見ゆ(万葉巻三)
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といふ歌の、一番進歩した説明では、大和の国を、島と称したと云つてゐるが、秋津島その他が、水で取り囲まれてゐるからだと云ふのは、逆の考へ方である。島は、自分が持つてゐる国、治めてゐる国といふ意味だ
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