線]といふ言葉でも、普通には訣つてゐると思うてゐるが、万葉には、八隅知之・安見或は万葉仮名で書いてあつて、その頃にも、既にいろ/\違うた考へで、其言葉を使うてゐた事が知れる。すると此は、もつと考へて見ねばならぬ事なのだ。安見といふのも、何だか支那臭いが、併し、安らかに治めるといふ事に基づいてゐるのかどうかを考へて見る必要はある。
天皇の始終、お出でになるところを、安殿と書いて、やすみどの[#「やすみどの」に傍線]と読ませてゐる。大安殿・小安殿と分れてゐるが、元は一つであつた。此やすみどの[#「やすみどの」に傍線]ゝ、書物に於ける用語例を、だん/\調べて見ると、祭りの晩に、尊い方が、添ひ寝のものとやすまれる処が、やすみどの[#「やすみどの」に傍線]であつたらしい。すると我々のやすむ[#「やすむ」に傍線]といふ語と、非常に近くなるが、併し、さう簡単に、今の語と、昔の語とを妥協させる事は出来ない。まう一つ考へて見ると、昔は非常に尊い人が、女と一しよにやすむ処が、それであつたらしい。それから延いて、尊い人の胤を宿した人を、やすみどころ[#「やすみどころ」に傍線]・みやすどころ[#「みやすどころ
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