古語・死語の意義を、字面通りにしか考へることの出来ないのも、無理ではない。而もさうした常識者流の多いのには、実際驚く。殊にひどいのは、自身所謂古語・死語を使ひ乍ら、われ/\一派の用語や、表現法を攻撃する無反省な輩である。
われ/\は敢へて、古語・死語復活に努めてゐる者なることを明言して憚らない。かういふわたしの語《ことば》は、決して反語や皮肉ではない。我々の国語は、漢字の伝来の為に、どれだけ言語の怠惰性能を逞しうしてゐたか知れない程で、決して順当の発達を遂げて来たものではないのである。この千幾年来の闖入者が、どれだけ国語の自然的発達を妨げたかといふことは、実際文法家・国語学者の概算以上である。漢字の勢力がまだわれ/\の発想法の骨髄まで沁み込んでゐなかつた、平安朝の語彙を見ても、われ/\の祖先が、どれ程緻密に表現する言語を有《も》つてゐたかは、粗雑な、概括的な発想ほかすることの出来ない、現代の用語に慣された頭からは、想像のつかない程である。かうした方面に注意を払ひ乍ら、物語類を読んで行くと、度々羨まれ、驚かれる多くの語に逢着する。更に、奈良朝に溯つて見ると、外的な支那崇拝は、頗盛んであつ
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