は」に傍点]を濁音に見ても、一応の解釈はつくが、大分無理があるやうである。これは、必ず清《ス》んで読んだものに違ひなからう。尚このことは後に論ずるつもりである。
○これには、幾通りも解釈がつくが、今は正しいと思ふものから述べて、その間に一々評論を試みようと思ふ。
玉葉には、はし書はない。もとからあつたのでもなからうが、試《こころみ》にこれに序をつけて見ると、「あるをとこ久しくおとづれせざりける女の方より」とでもあつたならばよからうと思ふ。夕ぐれは淋しいもの、雲の立居もたゞならぬ空に向うて、心細い思ひに耽る時の心持をのべたものである。
君はすでにとだえて久しくなつた、何のおとづれもない。雲のたゝずまひもたゞならぬ夕空に向うて思に耽つて茫として居る。しかも、心の中には、始終君のとだえを嘆いて居る。もう二度とは吾家へ来ますことはあるまいと、外界《ゲクワイ》の物淋しい景色に心のよすがなく、悲しい考のみが浮んで来る。もう君はお出でになることはない。さりながら、下には尚幾分の心頼みが潜んで居る、君来ませといふ希望の心は変じて、君来まさむといふ期待になる。しかも、実際は、もはやとだえた間柄ではないか
前へ
次へ
全12ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング