ども、それから後の国学者の解釈法には、翁以上に出たものはないと思ふ。
貫之の
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糸によるものならなくにわかれ路の心ぼそくもおもほゆるかな
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を解いては、別れ路のこゝろといふものは、糸による片糸のやうなものぢやないけれど、心細いものであるわい、といふやうなやりくちである。徒然草を見ても、この歌が、昔古今集の歌屑といはれて居つたことが見えて居るが、これは、一つは鑑賞法が進まなんだにもよるけれど、解釈法の不完全であつたのにも一つの原因がある。
逐字訳といふもの、これも和歌には効果がない。遠鏡は、出来るだけ逐字訳をして、簡単な形につゞめようとしたものであるが、和歌の性質上、逐字訳は許されぬのであるから(このことは「和歌批判の範疇」を参考せられたい)、寧ろ強ひて内容をつゞめるよりも、読者がその歌について知るべき内容の中心を摘出するに止めておくがよろしからう。さうであるから、時には、勢ひ原形式の数十倍以上の語をも費さなければならないこともあらう。自分は、これから、難解と思はるゝ歌の解釈をやつて見るが、その解釈法は、これまでのやり口と、多少変つた方法を以てしたいと思ふ。勿論自分は、今評釈をするつもりは毛頭ない。

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ながめつゝまたはと思ふ雲の色をたが夕ぐれと君たのむらむ(定家――玉葉)
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□ながむといふ語は、日本語の中でも、最も洗煉せられた詩味の豊かな言語である。今日の口語では、「眺《チヨウ》」の意味一つであるが、中古文には、そればかりではあてはまらぬことが多いので、これに詠の字をあてゝ見たのもあるけれど、ながむ[#「ながむ」に傍点]といふ語の内容は、決してそんな単純なものでないことは、諸君も業《スデ》に承知のことゝ思ふが、この語は、大体に、二つの違つた意味を包含して居るので、その間に生じたものはさておいて、この二つについていうて見ると、やはり「眺」の意のものと、「おぼめく」意のものとに分れる。「眺」の方は、む[#「む」に白丸傍点]といふ音に「見」の意があるらしく、「おぼめく」方には、「なが」に似寄つた「なげく」の意がほのかに伺はれる。「なげく」と「ながむ」との如き形式は、同意義の語に屡ある類似である。すなはち、この方は、心にある結ぼれたところがあるので、解剖して見ると、「眺」の意のものと
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