かへても誤りではない。「いよ/\甚しくなり」「ます/\極まりたる状態」に進んでゆく状態を言ふので、謂はゞ甚と愈との間を動揺してゐるものと言ふことが出来る。さうして、昔風に訳すれば、すべて嫌悪・憂鬱など言ふべき心理を表したものと言ふことも出来る。だが其は、甚又は愈或は其間に在る感情の程度か、進行を示すだけの副詞で、其自身には、如何やうの心理かは描写してゐないのである。其下にある悩まし・見まくほし・いぶせし・いたし(又は、見まくほる)など言ふ心の状態の推移や、激しさを示すだけの語に過ぎないのである。
(ホ)のうたて[#「うたて」に傍線]で考へられるやうに、副詞は、直接に即くべき語から游離し易いのが、日本語における事実である。だから、其語自身の接続すべき語との結びつきが極めて緩い。平安期以後の短歌における副詞には、殊にこの傾向が甚しい。勿論散文の上にも、其があつて、文章成分の転換の傾向を、一層激しくしてゐるものと言へる。
言語殊に文章語においては、類型表現を重ねて、なるべく独創の苦痛を避けようとする。其で新しい表情を欲することが尠く、あり来りの形ですまして置かうとする。甚たのしいことにも、愈
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