嬉しい時にも、うたて[#「うたて」に傍線]の遣はれる理由はあつても、類型表現の習慣や、類型に妥協する懶惰性が、さうはさせない。不快な心を表現する方へ偏つて行く。さうして遂には、うたて[#「うたて」に傍線]其ものが嫌悪の情調を表すものと考へられるやうになる。即、結果から言へば、叙述語に添うてゐた副詞が、肝腎の対象を失ひ、遂には、叙述語自身と見なされる職分を持つことになる。「うたて憂鬱なり」と言ふところが慣しとなつて、うたて[#「うたて」に傍線]ばかりを遣つて、「憂鬱なり」と感じる様になつて来る。叙述部脱落と、副詞の游離性とから、さうした結果を生じるのである。
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……地を惜《アタラ》しとこそ、我が汝兄《ナセ》の命かくしつれと詔《ノ》り直せども、猶其悪態不止而《ナホソノアシキワザヤマズシテ》転。(神代記)
こゝに、大長谷[#(ノ)]王の御所に侍ふ人等白さく、宇多弖物云王子故応慎《ウタテモノイフミコナレバココロシタマヘ》。亦|宜堅御身《ミヽヲモカタメタマフベシ》、と白しき。(安康記)
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神代記の転を、宣長は「ウタテアリ」と訓んでゐる。巧妙な訓である
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