書に限つたことではない。一般の語意研究の上にも、語の中に或は、語の裏に張りついて、消極的な表現をしてゐる場合が、よほどのぶあひ[#「ぶあひ」に傍点]を持つてゐる。却て句や文章の省略などになると、其を通過せぬことには、解釈がつかぬことになるので、曲りなりにも、省略法など言ふ語で、この消極表現を言うてゐることがある。
併し実は、そんな稀にしか現れて来ないと謂つた現象ではない。あまりあり過ぎて、話しながら不注意に通つて居る。その間に、其等の省略せられた形だけに添うて、其なりの別殊の妥当性を抽き出して遣つてゐる。すると逆に語原を追求して、其らしいものに想到して、仮りの安定状態を得てゐると言つたことが多い。此為に、――語原学方面はまづよいとして――解釈学の方面では、相当な失敗を重ねて来てゐる。
正確な比較研究に立つて言ふのではないが、此略語作用と言ふべきものが、日本語には殊に激しいやうであり、日本語発達の径路に、其が不思議な単純化性能を表したり、表現を自由・柔軟にしてゐる所が多いと言ふことが出来る。
私は、日本語の副詞表情に、気をとられて凡半生を過して来た。旧来の思慕の情調を湛へた日本の文章・
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