い[#「うたてい」に傍線]と形容詞に扱はれて、大抵は嫌悪倦怠感を起させる対象に向つての表情となつてゐる。近代の用語例は、やはり其と同じで、形はうたてし[#「うたてし」に傍線]を思はせるうたてい[#「うたてい」に傍線]の外に、うたての[#「うたての」に傍線]・うたてな[#「うたてな」に傍線]などがある。中世の初め――平安期の日記・物語・短歌類にあるものは、うたてあり[#「うたてあり」に傍線]が標準形で、うたてし[#「うたてし」に傍線]と言ふ形は、卑俗な感じを持たせたものらしい。ところが極めて微力な用語例だが、うたゝあり[#「うたゝあり」に傍線]と言ふ形が、稀に用ゐられてゐる。此が、うたて[#「うたて」に傍線]・うたゝ[#「うたゝ」に傍線]並行時代で、とりたてゝ用語例に区別がないやうだ。「花と見て折らむとすれば、女郎花うたゝあるさまの名にこそありけれ(古今)」「思ふことなけれど濡れぬ我が袖はうたゝある野べの萩の露かな(後拾遺)」「さらぬだに雪の光りはあるものをうたゝあり[#「うたゝあり」に傍線]あけの月ぞやすらふ(式子内親王集)」古今以後の短歌に、うたゝあり[#「うたゝあり」に傍線]が標準形のやうにとられて、うたてあり[#「うたてあり」に傍線]が本格的でないやうに見え――唯うたて[#「うたて」に傍線]だけを副詞のやうに据ゑたものは、相応にある――るのは、なぜだらう。平安期を通じ、更に中世中期と言ふべき鎌倉期にも、まだ生きて――擬古文用の語としてゞなく――散文には、多く遣はれてゐるのは、平常語としては、勢力があつても、文学語・学術語――即、古典語――としては、位置をうたゝあり[#「うたゝあり」に傍線]に譲つて行つたことを示してゐるのではないか。
更に溯ると、万葉に五例まであつて、いづれもうたて[#「うたて」に傍線]と訓むべきで、亦あり[#「あり」に傍線]を伴うて居ない。菟楯(イ)・宇多手(ロ)・得田|直《テ》(ハ)・得田|価《テ》(ニ)・宇多弖(ホ)とあつて、ウタヽと訓まぬ方が正しい。「……下なやましも。(イ)この頃」(巻十、一八八九)「……見まくぞ欲しき。(ロ)この頃」(巻十一、二四六四)「(ハ)この頃恋のしげしも」(巻十二、二八七七)「(ニ)異《ケ》に心いぶせし」(同、二九四九)「秋といへば、心ぞいたき。(ホ)異に花になぞへて見まく欲《ホ》りかも」(巻二十、四三〇七)
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