が神饌に供へられる事は、其例多く見えて居るが、必しも白い物ばかりを飼うて居た訣ではなく、偶々、民家の家畜の中にも、白い羽色のが生れると、献るべき神意と信じ、御社へあげ/\して来た事であらう。古風な江戸びとは、いまだに卵を産まなくなつた鶏を、浅草寺の境内へ放しに行く。内容は変つても、尠くとも、形式だけはまだ崩れないで居る一例である。喰べると癩病になると言はれる鳥に、燕・鷲並びに、此鶏がある。前二者は、喰べろと言はれても遠慮する人が随分とあり相である。が鶏を封ぜられては困る者、啻《ただ》にかしは屋[#「かしは屋」に傍線]ばかりとは言はれまい。
鶏には、特に白と言ふ修飾が加つて居るので、息をつく。豊後大野郡辺では、白い鶏を喰ふと、かったい[#「かったい」に傍線]になる(郷土研究第三巻)と言ひ習はして居る。白鶏が、神の牲料と信じて居たればこそ、其を横どりする者は、極刑を受けると考へられたので、原因を振り落して、単に結果だけが言ひ伝へられたものと思ふ。考へ方によつては、白い鶏でなくても、鶏はすべて、ある神専用の牲料と思はれたであらう。美保関で卵を喰はぬと言ふのも、一つ起りから出た事は察せられる。
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