山陽・畿内の二个村の鶏を飼はぬのも、神の占め給うた家畜なるが故に、善い意味からは御遠慮申し、悪い意味からは不時の御用命を迷惑がつて、忌み憚つて来たものと言はれよう。併し此を以て直ちに、事代主神婚譚を構成した原因などゝはきめられない。畢竟は相当因縁を持つた民間伝承が、お互に別々に進んで来る中に、相合すべき状態になると、他の一つは、其に引きよせられるものと見てさしつかへはない。お互に原因になり、結果になる事が出来るのである。
神妻訪ひの話に、鶏の参与するのも、田舎人の生活が、其儘幽界の方々の上にもあることゝ信じて、言ひ出したことは勿論であるが、今一つ、鶏がとんでもない憎まれ者になる訣は、責任を転嫁したり、情痴趣味に浸つたりすることを知らなかつた万葉びと以前の、古代の男女関係ばかりからは、何とも合点が行きかねる。今でも古風を存して居ると信ぜられて居る祭りの中心行事は、必、真夜中に行はれる。鶏鳴がほゞ神事の終りと一致する様に、適当に祭式をはこばねばならなかつたものと見えて、日の出にかつきり主要な部分をしまうて居なければ、今年の作物に祟ると信じてゐる地方が多い。
其例に、信州下伊那新野の伊豆権現
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