娘と、別れを惜む事になつて来ねばならぬ訣がある。思ふに、土師の村の社には、いつの頃にか、美保式の神婚の民譚がついて居たのを、たつた一点を改造した為に、辻褄の合うた様な、合はぬ様な話が出来上つたのであらう。事実、天神・苅屋親子関係を信じきつて居る今時の役者たちすら「手習鑑」の道明寺の段で、一番困るのは、右の子別れだ相である。女夫の別れと見えぬ様との、喧しい口伝もあると聞いて居る。妙な処に、尻尾の残つて居るものである。
あの芝居で、今一つの中心は、東天紅の件であるが、目に見えぬ過去からの網の目が、浄瑠璃作者の頭にかぶさつて居た為に、宿禰太郎夫婦の死と言ふ様な大事件を以て解決せねばならなかつたのである。
今日でも、まだ到る処の宮々に、放ち飼ひの鶏を見かける。とき[#「とき」に傍線]をつくらせたり、青葉の杉の幹立の間に隠見する姿を、見|栄《はや》さうと言つた考へから飼うて置くのでない事は、言ふ迄もない。あれは実は、あゝして生けて置いて、いつ何時でも、神の御意の儘に調理してさし上げませう、とお目にかけて置く牲料《ニヘシロ》で、此が即、真の意味のいけにへ[#「いけにへ」に傍線]なのである。
白い鶏
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