鶏鳴と神楽と
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)眠《イ》ねず

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)泊瀬|小《ヲ》国に

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)八千矛[#(ノ)]神

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)長い/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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には鳥は かけろと鳴きぬなり。起きよ。おきよ。我がひと夜妻。人もこそ見れ(催馬楽)
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此歌などが、わが国の恋歌に出て来る鶏の扱ひ方の、岐れ目であるらしい気がする。平安朝以後の鶏に関聯したものは、どれもこれも「きつにはめなむ」(勢語)と憎んだ東女を、権輿に仰いで来た様である。其と言ふのが、刺戟のない宮廷生活に馴れた男女の官吏たちは、恋愛以外には、すべての感覚の窓を閉した様な暮しをつゞけて居た。歌の主題と言へば、彼等の経験を超越して居る事を条件とする歌枕に、僅かに驚異の心を寄せるばかりだつたからである。貧しい彼等の経験には、一番鶏・二番鶏に、熟睡を破られる田舎人さへも、珍らしく思ひなされたのである。待つ宵の小侍従・ものかはの蔵人の贈答なども、単に空想と空想との鉢合せに過ぎないのであつた。世は徳川になり、明治・大正になつても、のどかな歌びとたちは、尚「暁別恋」といへば、鶏を引きあひに出すことは忘れないで居る。
催馬楽の中でも、右の歌などは、都に居ては到底、出来る筈のない歌であつた。同じく鶏・恋・暁を一首に結んでも、万葉びとは、まだ固定せぬ歌ぐちを見せてゐる。
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もの思ふと 眠《イ》ねず起きたる朝明《アサケ》には わびて鳴くなり。庭つ鳥さへ(万葉集巻十二)
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さうしたはでな心持ちから、飛び離れた挽歌にさへ、鶏は現れて居る。
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庭つ鳥 かけの垂り尾の乱り尾の 長き心も思ほえぬかも(同、巻七)
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我々の祖先が、鶏から聯想したものは、必しも恋ばかりではなかつた。けれども此国の文芸生活の夜明けと共に、鶏の垂り尾ではないが、恋ひ心の纏綿して居るのも事実である。其は、彼らの生活が、どうしてもさうなくてはならぬやうになつて居たからである。彼ら男女のなからひには、必鶏が割り込んで来た為である。一夜妻《ひとよづま》の様に、向うからしかけるのは特別、普通は男から女の家に出向いて鶏鳴に催されて帰つて来るのが、婚約期間の習俗であつたとすれば、鶏の印象が長い/\古代の情史の上に、跡を牽くのも尤な事である。併しながら、きぬ/″\の別れを鶏のせゐにして、かさ怨みを無邪気な家畜に投げつけるのは、よほど享楽態度を加へてからの話である。
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隠国《コモリク》の泊瀬|小《ヲ》国に、さ婚《ヨバ》ひに我《ア》が来れば、たな曇り雪はふり来ぬ。さ曇り雨はふり来ぬ。野《ヌ》つ鳥|雉《キヾシ》はとよみ、家つ鳥|鶏《カケ》も鳴き、さ夜は明け此夜は明けぬ。入りて朝寝む。此戸開かせ(万葉巻十三)
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答への歌から見ると、泊瀬天皇などの伝記に関係した短篇叙事詩の謡化したものらしい。後朝をわびるどころではない。入りて朝寝むとまで、感傷せずに言うて居る。鶏が入り込むと、どゞいつ[#「どゞいつ」に傍線]・端唄の情歌色彩を帯びて来るものであるが、其がないのは、時代である。右の歌が離れて来た元の形と見える八千矛[#(ノ)]神の妻訪ひの歌なども、
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……処女の寝《ナ》すや板戸を 押《オソ》ぶらひ、我が立たせれば、引《ヒコ》づらひ、我が立たせれば 青山に鵺は鳴き、さ野つ鳥雉はとよむ。にはつどり鶏《カケ》は鳴く。慨《ウレタ》くも鳴くなる鳥か。此鳥も、うち病めこせね。……(古事記上)
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とあるのを見れば、まだ処女に会はないのである。鶏を呪うては居ても、東女の情痴の曲折あるのから見ると、ずつと単調な、言はゞ、がむしゃらのむしゃくしゃ腹を寓した迄の話である。鶏を以て、趣きある恋愛の一場面をこしらへて行かうとはして居ない。けれども、若し鶏の音が、古代の歌謡に、ちつとでも、きぬ/″\の怨みを含めて居るとすれば、其には、もつと/\大きな原因から来て居るのである。
出雲美保関の美保神社に関聯して、八重事代主神の妻訪ひの物語がある。此神は、夜毎に海を渡つて、対岸の姫神の処へ通うた。此二柱の間にも、鶏がもの言ひをつけて居る。海を隔てた揖夜《イフヤ》の里の美保津姫の処へ、夜毎通はれた頃、寝おびれた鶏が、真夜中に間違うたとき[#「とき」に傍線]をつくつた。事代主
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