の生れて来ることも、見当がつく。万葉に残つてゐる「しゑや」は、此一例を除くと、殆、形容詞を承けた痕は見えない。独立した感動詞・副詞の様な形をとつてゐる。だが、もつと古く形容詞に結合する習慣が固定して、更に遊離して作つた成句と見られる。
「あなにやし」も分解すれば、「あなに」が出来るが、此は、「あやに」(語原は別だが)に通じる「あなに」である。この「に」に特殊な意義があるのか、今日では考へられない。唯、「あな」も「あなに」も、語尾の有無の相違だけと見られるので、「あな、えをとこよ」の義に説ける。此「に」は副詞語尾であると共に、古くは、語根「あな」を名詞化するもので、更に其に用言的機能をすら与へてゐたのだ。「桜の花のにほひはも。あなに」などを見れば、「ゑ」と価値は変らない。此「あなに」に更に「ゑ」のついて、「あなにゑ」の形が出来、その間に或は、あなにや[#「あなにや」に傍線]([#ここから割り注]神武紀、「妍哉」此云鞅奈珥(恵ナシ)夜[#ここで割り注終わり])となつたらしいものもあり、「や」がついて、「あなにゑや」にもなつた。一方亦あなにゑ[#「あなにゑ」に傍線](あなにや)に「し」のついた形から音韻変化で、「あなにやし」が現れたのだ。かうした「ゑや」の過程を踏んで、「し」を呼んだ形が、「よしゑやし」である。
「あなにやし」「よしゑやし」の類は、語の歴史としては、比較的に古いまゝに固定して、後まで残つたものであらうが、用法から見ると、新しいものに似た所がある。だが其は、全く変つて居て、まだ文法上の拘束を受けない、語根時代の俤を示してゐるもの、と見ねばならぬ一群の語句に接して行くものだつたのが、段々其自身の内容が限定せられて来た為、他の語に続く形まできまつた訣であらう。
「やし」「よし」が完成した語尾の様に見えるのも、かうして見ると、単なる無機的の修飾語の一部に過ぎないことになる。さうして其上に、「し」が緊密に「や」「よ」に接してゐるものでないことが知れる。
        ○
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○射ゆしゝをつなぐ河辺の若草の(斉明紀)
 ………………認河辺の和草の(万葉巻十六)
○はるがすみ春日の里|爾《ニ》殖子水葱(同巻三)
 上つ毛野いかほの沼|爾《ニ》宇恵古奈宜(同巻十四)
[#ここで字下げ終わり]
今日我々の持つ時間観念を含まずに、此に似た熟語を作つた場合は、沢山ある。必しも「射られたるしゝ」「栽ゑたる水葱」と言ふまでもない。殊に、前者の如きは、古代歌謡の上の一つの成句として、屡《しばしば》流用せられたものと見ることが出来る。だが、後の例になると、殖槻・植竹の類の成語はあつても、其とは別に稍、今人の文法観念にそぐはぬ処がある。或は、地理に関した特殊の「に」の用法からして、「なる」と言ふ風に感じる人もあらうが、此はさう言ふ場合ではない。即、「春日の里に栽うる……」「いかほの沼に栽うる……」と言へば、多少の妥当性は欠けてゐても、我々には訣る。其とおなじ用法なのだ。更に言へば、時間観念を挿入すれば、もつと適切に感じられるところだ。さうした方法をとらないところに、偶《たまたま》、この語に限つて古い文法様式を保存してゐる痕が見えるのだ。謂はゞ、律文としての偶然な制約が、重つて来た為である。
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……山県に麻岐斯《マキシ》あだね搗き 染《ソ》め木が汁に染《シ》め衣を……(古事記上巻)
[#ここで字下げ終わり]
などの場合にも、偶々さうした表現法が残つて見える。即「染め木が汁に染《シ》むる(或は染めたる)衣を」と解けば、気分的に納得するのだ。奈良朝頃の文献の中で、かうした形を発見するのは、多く序歌の場合である。つまり、気分的に解説すれば、ある契機となる語を中心として、二つの観念の転換が緊密に行はれてゐる。其為に文章又は句としては、不自然な処が生じるのだと言ふことになる。だが、さうした技巧も、元は技巧としてはじまつたのではない。唯古い表現法に準じてゐたのだ。さう言ふ点に、後代の文法意識が働くと、前句と後句との間に、緩衝的な語を挿入することを考へて来る。謂はゞ「ところの」と言ふ程の意識を含めるのである。二つの句の間にと言ふよりも、前句を後句から隔離し、半独立の姿を保たしめるのである。
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……あだねつき染め木が汁に染《シ》め 衣を……([#ここから割り注]シムルトコロノ衣シメタル衣[#ここで割り注終わり])
上つ毛野いかほの沼に栽ゑ 小水葱……([#ここから割り注]ウヽルトコロノ小水葱ウヱタル小水葱[#ここで割り注終わり])
[#ここで字下げ終わり]
右の例における接続点は、前代の文法及び、其形式を襲ふものでは問題にならないが、やはり次第に、整頓せられて来る。仮りに序歌を以て説くと、
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ますら雄のさつ矢たばさみ|立ち向ひ《イ・むかひたち》|射る《イ・いるや》円方《まとかた》は見るにさやけし(万葉巻一、六一)
[#ここで字下げ終わり]
「伊勢風土記逸文」では、序歌の契機点に「や」を挿んで、緩衝してゐる。かう言ふ風に、言ひ改められるのは、理由のあることで、「に」「の」「も」「なす」など言ふ辞を挿むのは、序歌としては、第二義に属するものと言ふことが出来る。序歌の場合は、上の句を譬喩化(或は類音化)して、意義を転換させるのだが、其と共にさうした挿入辞によつて、つき放し[#「つき放し」に傍点]てゐる。ところが、前の場合は、挿入した辞によつて、前句を固定させると共に、後句と接続させる[#「接続させる」に傍点]様になつた。即、「あなにやし」「よしゑやし」「はしけやし」「やすみしゝ」「いよしたゝしゝ」などの、比較的短い語を繋ぐ用途の、意識せられてゐた「し」が、割り込んで来る事になつたものと見られる。かうして見ると、我々は古文献に見える「し」について、考へ直す必要が生じる。
奈良朝の古典で、而も其前代の言語伝承を筆録した部分の含まれてゐる多くの詞章に現れて来る、此類の「し」についてゞある。今泉忠義君は、既に「助動詞き[#「き」に傍線]の活用形し[#「し」に傍線]の考へ」(昭和五年十月号国学院雑誌)と言ふ論文で、過去の「し」の用例の記・紀の歌謡に現れた分を整理して、其成立を考へようとして居る。さうして其が、代名詞「其《シ》」であらうと言ふ仮定に達してゐる。可なり暗示に富んだ優れた考へである。私としては、其同じ用例を反覆して、過去の助動詞は勿論、出来るならば、形容詞の語尾の暗示を惹き出して行かねばならぬのである。
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みつ/\し 久米の子らが垣もとに栽ゑ し はじかみ 口ひゞく……(記紀)
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この例に、「うゑこなぎ」の歌をつき合せて見ると、「垣もとに栽ゑはじかみ」と言うてもよい処だつた事が知れる。
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ありぎぬの 三重の子がさゝがせる みづたまうきに 浮き し 脂 落ちなづさひ みなこをろ/\に……(記)
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の場合も、瑞玉盞《ミヅタマウキ》の同音聯想として、浮き[#「浮き」に傍点]が出て、浮き脂と続くところを、「し」を挿入してゐる。此歌の此部分は尠くとも、神代巻のおのころ島の段と、おなじ伝承の記憶から出来た文句に相違ない。浮きし脂と言ひ、こをろ/\と言ふ点、新しい発想でないことを示してゐる。即瑞玉盞に浮き脂……とも言へる所だ。又、前に引いた一つの例の、
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○山県にまきし[#「し」に傍点]あだね搗き、染め木が汁に染め衣を……(記)
○やすみしゝ[#「ゝ」に傍点] わが大君のあそばしゝ[#「ゝ」に傍点] しゝの(病み猪の)うだき畏み、わが逃げのぼりし[#「し」に傍点]あり丘《ヲ》のうへの榛の木の枝[#「榛の木の枝」に傍線](榛が枝あせを)。あせを[#「あせを」に傍点](記紀)
[#ここで字下げ終わり]
前者はやはり、「山県にまきあだね」と一つことゝ説くことが出来る。後の例になると、記・紀共に「し」としてゐる。此になると、今日知れない特別の事情の明らかにならぬ限りは、既に時の観念らしいものを含んでゐると言はねばならぬ。仮りに、合理化を試みると、「この榛や、いづくの榛。やすみしゝわが大君の……わが逃げ登りし……榛の木の枝」と言ふ様な形だつたもので、呪物の由来を説くと共に、「し」に詠歎を含めてゐるらしくも見える。ともかくも「し」は、過去と言へないまでも、職能は変化してゐる。此と似た縁起を説く歌としての
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この御酒は、わが御酒ならず、くしの神 常世にいますいはたゝす少御神の神ほき[#「神ほき」に傍線] ほきくるほし[#「ほきくるほし」に傍線]、豊ほき[#「豊ほき」に傍線] ほきもとほし[#「ほきもとほし」に傍線] まつり来《コ》し[#「し」に傍点]御酒ぞ……(記紀)
[#ここで字下げ終わり]
やはり「し」には、詠歎と讃美とが、籠つてゐるやうだ。つまり、感情をわりこませてゐる訣だ。
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○つぎねふ 山代|女《メ》のこくは持ち、うちし大根 さわ/\に……(記紀)
   又、うちし大根 根白の白たゞむき(記紀)
○須々許理がかみし御酒に……(記)
[#ここで字下げ終わり]
此も詠歎とも言へるが、「うち大根」と言ふ風に説ける。
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○橿の原《フ》に[#「に」に傍線]よくすをつくり、横臼に醸みし[#「し」に傍線]大御酒……(記。紀、かめる……)
○をとめの床のべに[#「に」に傍線]、わが置きし[#「し」に傍線]劔の大刀……(記)
○おきつどり 鴨どく島に[#「に」に傍線]わがゐねし[#「し」に傍線]妹は忘れじ……(記。紀、づく……忘らじ)
[#ここで字下げ終わり]
此等の例では、「に……し……」と言ふ形式も具へてゐるし、「し」の挿入せられた形跡が、まだ伺はれる。
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……わが哭くつまこそこそは、易く膚ふれ(記紀)
[#ここで字下げ終わり]
許存許曾を、許布許曾の誤りだとしてゐるが、日本紀も去※[#「缶+墫のつくり」、第3水準1−90−25]去曾となつてゐるのだから、「こそこそ」でよい。此が、下に「ふれ」(四段形)と第五変化で結んだものと見れば、其までだが、尚考へて見る必要がある。「こそ」の係結の完成する前の形で、「わが哭くつま。昨夜《コソ》こそは、易く膚触れ 妻」と言つた形らしく思はれる。つまり、膚触れし[#「し」に傍点]妻と言ふ義である。若し、此が単に「膚触れし」と言ふだけに止るのでも、「し」と言ふ過程の予期せられてゐることが見える。
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……まさしに[#「まさしに」に傍点]知りて、我が二人寝し(万葉巻二)
[#ここで字下げ終わり]
やはり、同じ旧事を説く歌だが、前の歌の様に言ふなら、「わが二人いね(又は、ゐね)」でもよい処だ。恐らく此場合は、「我が二人寝し我が」といふ形だらう。「易く膚ふれ」と「わがゐねし」とを並べて考へれば、「し」の出て来る気分が知れると思ふ。さうして見ると、榛の木の歌も、「猪のうだき畏みわが逃げ登りし猪のうだき」と解すべきで、「ありをのうへの榛の木の枝」は、所謂囃し詞に属すべきものかも知れぬ。先に出た倭建命の歌と、其事情の似たものを、二つ連ねて見ると、
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をとめの床のべに[#「に」に傍線]、わが置きし[#「し」に傍線]劔の大刀。その大刀はや。尾張にたゞに向へる尾津の崎なる一つ松。あせを。……
[#ここで字下げ終わり]
即、榛の木の歌と、様式上に非常に近似性を持つてゐることが知れる。
過去表現に関しては、尚説かねばならぬものが多いが、今は其形容詞語尾と、発生径路を分化する以前を説くに止めねばならぬ。何にしても、「し」が時間意識を出して来る過程には、詠歎と、回想とを加へて来なければならなかつた。さうして更に、形容詞語尾と、明らかな差別を出すためには、熟語を構成する事から、解放せられねばならなかつた。併し一方、形容詞も亦、外見から言へば、独立した形を作
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