るものと、新しい感覚に従うて文法を整頓したものとの間に、自然に通じるものが見られる。最進んだ枕詞論者は、語句の固定によつて、枕詞としての感覚が出されてゐるものと言ふであらう。だが、真実、「なぐはし よしぬ」と「なぐはしき いなみのうみ」との間に時代的発想の新旧が見られるだけではないか。唯、前者ではよしぬ[#「よしぬ」に傍点]との関係の深さは見えるが、後者は「の海」まで、なぐはしき[#「なぐはしき」に傍線]の効果の及んでゐることは確かだ。
枕詞と言はれ、又さう扱はれてゐないものゝ中でも、特別なものを除けば、実は分類の不正確なものに過ぎなかつた。だから、前にあげた「やすみしゝ」が枕詞であつて、自余の物がさうでないなど言ふのは、唯の習慣の問題に過ぎない。更に此癖は、熟語かどうかと言ふ感じをさへも、鈍らしてゐるのである。
今一度方面をかへて(ハ)の例について物を言ふなら、「やすみしゝ」などの上の「し」は敬語の助動詞に属すべきものだ。こゝにも問題があるので、「……さす[#「さす」に傍点]」・「……しす[#「しす」に傍点]」など概括して古代風に感じられる敬語法では、上が唯する[#「する」に傍点]と
前へ
次へ
全54ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング